調査レポート

低所得層における⾞の保有、移動課題の深刻さ

2021.09.28

国連が定めるSDGsで、筆頭項目として挙げられる世界の貧困問題。都市部に住み、安定した職や住居に恵まれた我々にとって、貧困状態を身近に感じる機会は多いとは言えない。日本は裕福な国であるという先入観もまた、日常の中で見え隠れする貧困を影に追いやり、見過ごしてしまうことにつながっているのではないか。

厚生労働省の資料によると、所得から税金や社会保険料などを差し引いた可処分所得に対し、その中央値の半分を貧困線と定義し、それより下回る人が相対的貧困状態にあたるとされている。2015年の⽇本の相対的貧困率は15.6%(出所:厚⽣労働省 2017『平成28年国⺠⽣活基礎調査結果の概況』)。
仕事、教育、食料、医療、住居などの基本的な生活を入手することが困難である場合、当然ながら「移動」も自由にアクセスできない資源である可能性が高い。トヨタコネクティッド 先行企画部デザインリサーチチームでは、招かれざる移動課題の実態を把握するため、自らが実際に過去・現在において困窮状態を経験したことがある5名の方へのインタビュー調査を行った。


⽣活保護受給者には⾞は贅沢品か?

貧困状態にある生活者を救済する政策のひとつとして、⽣活保護制度がある。⽣活保護制度とは「資産や能⼒等すべてを活⽤してもなお⽣活に困窮する⽅に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で⽂化的な最低限度の⽣活を保障し、その⾃⽴を助⻑する制度(出所:厚⽣労働省)」とある。ここでいう「資産」とは、預貯⾦、家屋、⼟地だけでなく⾃家⽤⾞も含まれる。つまり⽣活保護の受給要件を満たすためには、特別にその必要が認められた場合以外、⾃家⽤⾞を処分する必要があるということだ。

「必要が認められる」のは簡単ではない。九州地方に住む60代の男性は「⾼齢の⺟の通院があるのでなんとか免除をと頼んだけど、⾞は認められないということでやむを得ず処分した。」という。

我々が実施した調査によれば、⽣活保護受給者のうち45.7%が受給申請のために実際に⾞を処分している。「⾞を⼿放すと⽣活に影響が出る」と回答した⼈は全回答者の69%を占める。⽣活保護受給と引き換えに、不便な⽣活を送っている⼈が⼀定数いることが想像できる。実際に受給のため⾞を⼿放した⼈からは「⾬中の買物や移動に困る。それ以上に冬の雪道の移動が出来ない」「⽣活に必要な⼤きめの物品を配送してもらわなくてはならないので、配送料がかかる。気軽に動き回るのが難しい」といった声が聞かれた。また、日々の生活行動だけでなく「要介護者の病院への送迎が出来なくなりタクシー代が痛い」「公共交通機関の無い病院で⼈間ドックを受けていたが、⾞を⼿放して以降⼀度も受けていない」のように通院や健康管理が気楽に⾏なえなくなったといった影響も伺える。

影響は買い物や通院の⾜にとどまらず、就労の機会にも及ぶ。⽣活保護受給の要件のひとつである「能⼒の活⽤」は、「働くことが可能な⽅は、その能⼒に応じて働いてください。」と説明されている。また、制度の⽬標に「⾃⽴の助⻑」が掲げられており、就労の機会を奪われないことが受給者にとって⾮常に重要であることは間違いない。しかし⾞を⼿放すことによって、仕事に就くことを更に難しくしかねないという現状がある。前述の九州の男性は、「就職したいと思っても、勤務先がバス路線じゃなかったらどうしようもない。近くにバスが⾛っているところしか応募できない。仕事で時間が不規則になるところもあるが、バスが⾛っていない時間ではどうしようもない。」とため息をつく。就労する意欲があっても、⾞を持たなければ選択肢が極端に狭められてしまうのである。⾔い⽅を変えれば、住む場所などの条件によっては、⾞を⼿放すことは就労を諦めることにもつながりかねない。

「⾞は必需品であって贅沢品ではない」と男性は憤る。「⾞がなければ仕事にも就けない。死ぬまで⽣活保護を受けるのかな、と最近思う」という⾔葉が重い。


⾞を⼿放さなければ何が起こるか?

⾞を持つ⽣活保護受給申請者は、特別な事情を認められない限り、⾞を⼿放すか、それとも申請を諦めるかの選択を迫られる。調査では「⾞が⽣活保護申請の阻害要因になっている」が22%で、特に関東、関西以外のエリアで⽣活保護申請を⾒送った層が目立つ。ひとり親世帯で「⾞は⽣活の必需品」と考える⼈は77%にのぼり、⾞を⼿放すことが阻害要因となって申請を諦めた⼈のうち、ひとり親世帯の占める割合が高い。⾞がなければ仕事や家庭の切り盛りが立ちいかなくなるため、⽣活保護の申請を諦めているという状況が想像される。

⽣活保護申請を諦めれば、当然ながら経済的な問題は解決されないままだ。低所得層のうち「⾞の維持費が負担だ」と回答した⼈は42.2%で、「⾞は必需品だが、維持費が負担になっている」という現状が読み取れる。つまり、⾞がないと⽣活できない、だから⽣活保護申請できない、すると⾞の維持費が負担に…という「負のサイクル」から抜け出せなくなっているのではないか。

体調不良を抱える⽣活保護受給者は?

⾃⾝の体調不良が要因となって⽣活保護受給に踏み切った⼈もいる。福岡在住の30代男性は、⻑期⼊院がきっかけで就労が困難となり⽣活保護を受給中だ。退院後は1時間に1本しかないバスに乗り、バス停から20分歩いて通院している。診察が終わるタイミングが悪ければ、次のバスが来るまで所在なく待つことも度々あるという。また、複数の持病を抱える別の受給者は、「バスを乗り換え、病院によってはかなり歩く。盆地なので冬は寒くてからっ⾵が吹くし、夏はサウナ状態。⾜も痺れがきていて堪える」と公共交通機関を使った通院の苦労を語る。体をいたわりながら社会復帰を⽬指す⼈にとって、⾞を⼿放した⽣活が更に体に負担をかける要因になっていないか気にかかる。
交通がそれほど不便ではない地域に暮らしていても、事情があって公共交通機関を使えないケースもある。もともと⾞が⼤好きで、仕事も第⼀線でこなしていた⼤阪の40代⼥性は、パニック障害を発症し仕事のドクターストップがかかった。そのため⽣活保護を受給することになり、現在、⽇常の移動はほぼ⾃転⾞で⾏っている。⾃宅から病院へは公共交通機関が便利なのだが、電⾞に乗ると発作が起きることがあり1駅だけでも⾟いため、夏も冬もかなりの距離を⾃転⾞で通っているという。

また、⾞で気軽に買い物ができないために「体に良い⻝事」や「美味しく食べられるもの」から遠ざかってしまうこともある。糖尿病、鬱病、脊柱菅狭窄症などを併発している60代の男性は、医師から「炭⽔化物は控えめにして、体にいいものを食べて」と⾔われている。しかし交通の便が悪い⾃宅からは簡単に買い物に出られず、重い買い物もバスでは体⼒的に辛い。そのため普段の⻝事は歩いて⾏けるコンビニで調達することがほとんどで、安く済ませようと思えば炭⽔化物は避けられない。⾞を⼿放すことで、健康的な⻝⽣活の維持が困難になり、場合によっては健康状態の悪化も引き起こしかねない現状が浮き彫りになった。

糖尿病など複数の病気を併発している60代男性のある⽇の⼣⻝。歩いて⾏けるコンビニで安く買えるもの、となると炭⽔化物は避けられない

⾞を⼿放しても、インターネットがあれば大丈夫?

⾞を⼿放して困ることとして「買い物」がトップに挙げられた。大きなもの、重いものはネットショッピングで購⼊するのもひとつの解決策だろう。現に、福岡に⼀⼈暮らしの30代男性は「お⽶は送料無料にするために25kgをネットショッピングでまとめ買いするようになった。」という。インターネット接続の環境があれば、⽇常の買い物などの⽤事を済ませるのに助かるのは間違いない。

しかし同時にインターネットに頼る⽐重が増えると、出歩く頻度だけでなく、⼈との付き合いが減っていくこともある。前述の男性は、⾞を⼿放して以来、近所に住む姉の運転でスーパーに定期的に通っていた。しかしネットスーパーで買い物をすれば共働きの姉を煩わすこともないし、ポイントも貯まるお得感もあり、やがて⼀切買い物に出なくなったという。そのため、数カ⽉間誰とも会うこともなく、実家にすら顔を出さないままだったので「あのまま孤独死していれば、誰にも気づかれなかったかもしれない」と振り返る。

⾞を⼿放して狭まるのは⼈付き合いだけではない。⾞で出かけない分、オンラインで過ごす時間が圧倒的に増えたという失業中の男性は、⽇中の多くの時間をTwitter閲覧や書き込みに費やすようになったという。ニュースから趣味まで、情報の⼊⼿はほぼ全てネット上から行い、主な⼈付き合いの場もSNS上に変わった。もともと交流関係が広い⽅ではなかったが、それでも⾞を持っていたときには、遠⽅に住む妹とその⼦どもを乗せて⻝事に行っていた。だが、今ではほとんど会わなくなったという。

インターネットを便利に使いこなせない世代では、ますます状況は深刻になる。熊本の60代男性は、出⾝地は⾞で行けば30分ほどだが、バスの便が悪いこともあり、幼少期の知⼈とは全く付き合いがない。娘も⾞で1時間ほど離れたところにおり、向こうから会いに来てくれなければ会えない。唯⼀のつきあいは隣に住む初⽼の親切な⼥性で、時折おかずなどをわけてもらうことがあるという。「誰にも会えないし、⽣きていても楽しいことなんてなにもない」。

⾞は外の世界との接点。⾞を⼿放すことで考え⽅や⼈との付き合いが狭まり、時には偏ることもある。その結果、⽣きていく上での張り合いや、健全な思考が遮られてしまうことにも⽬を向ける必要があるのではないか。
華々しい次世代技術や便利さを追求するだけでなく、ほんとうに移動の自由を広めるには、まだまだ多くの視点が必要であることを今回の調査を通じて考えさせられた。

プロフィール

先行企画部デザインリサーチチーム

2020年から活動を開始。クルマや移動における体験価値をデザインし、ユーザーに選ばれるプロダクトを生み出すことを目的として、デザインリサーチ、人間中心設計、エスノグラフィー、データ分析の専門的な知見を持つメンバーが集まる組織です。

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