序章 トヨタコネクティッドの源流
すべてはここから始まった
トヨタコネクティッドという会社の源流、さらにいえば、モビリティ・サービス・プラットフォームをはじめとした、最先端のITサービス、プロダクトの源流を遡れば、96年にスタートした販売店の業務改善プロジェクトにたどり着く。この活動の根本にあったのは「ジャストインタイムへの限りない挑戦」である。その挑戦は、トヨタの一課長と一係長が始めた販売現場の泥臭い改善活動から始まった。やがてそれはGAZOO(ガズー)と名付けたIT事業へと発展し、ついに、トヨタコネクティッドの創業へとつながるのである。
最初は新車物流改善から始まった
「なぜ、トヨタの組立工場を6時間で出た車両が販売店で何日も、何十日も滞留するのだろうか?」。岐阜のカローラ店の地区担当員だった豊田章男課長(現在のトヨタ自動車代表取締役社長、トヨタコネクティッドの創業者)は、この疑問をきっかけに、96年1月、トヨタの国内営業部門の中に業務改善支援室を設立した。
トヨタの工場の中ではジャストインタイムで車両が生産されて出荷されるのに、その車両がお客様のもとに納車されるまで、何日もかかっている。車両によっては何十日もヤードで滞留している。生産管理部生産調査室でTPS(トヨタ生産方式)を習得していた豊田にとって、それは理解しがたいことだった。生産管理部生産調査室とは、TPSを展開した大野耐一(1912~1990)が設立したトヨタ社内の組織である。内製工場や仕入先へのTPSの指導を担っていた。
ジャストインタイムとは「必要なモノを必要な時に必要な量だけ、造り、運ぶ仕組みと考え方」である。そして、ジャストインタイムはトヨタ生産方式の根幹をなすものである。もっと正確にいえば、トヨタの経営や業務のすべてにおいて「あるべき姿」とされるものといっても過言ではない。
「トヨタのジャストインタイムは工場の中だけではないのか!」「トヨタと販売店、お客様の間をジャストインタイムにつなぎたい」。
豊田は、生産調査室の部下であった友山茂樹係長を副官に呼び寄せ、工場や物流部門から召集したメンバーたちとともに、自ら販売店に出向いて新車物流改善を始めた。
それは、当時のトヨタの営業部門からすれば、歓迎されざる存在であり、周囲からは、「TPSだか、ジャストインタイムだか知らんが、モノを造るのと売るのとではまったく違う、そのうち失敗するから関わらないほうがいい」と白い目で見られていた。
豊田は、そういった反発を意に介さず、メンバーを7つのチームに分けて販売店に常駐させ、新車物流改善を始めた。
メーカーから出荷された車両は、一旦、販売店の新車センターのヤードに保管されて、オプション取り付け作業、点検作業、洗車などを経て、店舗に届けられる。店舗では、登録などの手続きを済ませ、お客様への納車となるが、新車センターの作業も、店舗の業務にも、標準作業もなければ、納期も曖昧で、至る所に、車や部品、書類の滞留が見られた。友山ら、現地に派遣された改善メンバーは、それらの物と情報の流れを整理し、標準作業を決め、短いリードタイムで流れるように一つひとつ改善を積み重ねていった。
当初は、販売店のスタッフの反発もあったが、納車のリードタイムが大幅に短縮され、オプション取り付け作業の生産性も大きく改善されるなど、目覚ましい成果が出てくると、販売店の信奉者も増え、この改善活動は全国に波及した。
画像からGAZOO誕生
新車物流改善が軌道に乗ってくると、次に、豊田と友山が注目したのは中古車だった。販売店のキャッシュフローを上げるためには、新車のリードタイムを短縮するだけではだめで、下取り車の再販までのリードタイムを短縮する必要がある。ところが、下取り車が入庫して、修理や清掃、整備を経て、展示場に並び、それが売れて現金が回収されるまで数十日もかかっていた。
そこで、入庫から展示までの工程を改善しリードタイムを短縮したが、それでも展示までに数日かかるし、繁忙期には展示場が溢れてしまう。そこで、彼らが考え出したのが、中古車画像端末だった。
下取り車をデジカメで撮影し、下取りした日から、中古車展示場はもちろん、新車の店舗でも、画像端末で見積もりや商談が出来るようにしようと考えた。しかし、業務改善支援室は、情報システム部門ではなく、そういった予算も人材もあてがわれていなかった。
幸い、友山の部下の藤原靖久がパソコンに精通しており、彼を中心に開発チームを結成し、中古車画像システムの開発に着手した。
市販のパソコンは高価な割に性能不足。それなら部品を仕入れて自分たちでソフトもハードも造ろうと、豊田のポケットマネーで部品を購入して、友山の自宅に集まって『TOYOTA』エンブレムの入ったパソコンを組み上げた。
当時としては画期的なシステムだったが、まだ、インターネットも普及していない頃であり、トヨタ社内からは、相手にされないどころか、「画像でクルマの商売が出来るわけがない…」「実車を見せないで商談をすればトラブルになる」と大きな反発にあった。
結果的に、トヨタの公式システムとは認められなかったので、トヨタブランドを名乗れず、画像端末の「画像」を「GAZOO」ともじって、GAZOO端末と呼ぶことにした。
ある販売店で試行したところ、社内の反発とは裏腹に、中古車の販売が2倍、販売までのリードタイムが半減するなど大きな成果が出た。この成果を聞きつけた多くの販売店からGAZOO導入の要請があり、98年に、「GAZOO」は、その呼び名のまま、トヨタの公式システムとなり、約3000台のGAZOO端末が全国の販売店に展開されるに至った。同時に、中古車情報だけでなく、新車情報も掲載し、のちにインターネットのGAZOOドットコムを立ち上げた。
いまでこそGAZOOドットコムは、国内有数のクルマのポータルサイトになったが、当時は、周りはすべてアウェイの中、自動車販売のジャストインタイムに向けた挑戦だったといえる。そして、その原点であるGAZOO端末は、トヨタコネクティッド創業のきっかけとなるマルチメディアキオスク端末「e-Tower」へと発展していくのである。
スーパークイック車検
新車、中古車と物流改善を推し進めてきた業務改善支援室は、車両販売に続く販売店の収益源であり、また、お客様との長期的な関係を維持する上でも重要な、アフターサービス分野へと改善を拡大していった。
彼らが着眼したのは、車検や定期点検に標準作業を導入することだ。当時は、車検といえば1日~2日間、お客様のクルマを預かるのが当然で、整備工場にはクルマが溢れて作業の邪魔になっていた。それどころか、朝夕はエンジニアが引き取り・納車に追われるなど、生産性が上がらない要因となっていたのである。
現場で陣頭指揮をとっていた友山は、必要な工具を可動式の台車に搭載した「システム台車」を考案した。このシステム台車を使った標準作業では、車検なら45分間、定期点検なら30分間で作業が完了できた。これなら、お客様が来店している間に済ませることができるので車を預かる必要はない。そこで、完全予約制の来店型サービス、「スーパークイック車検」を商品化した。スーパークイック車検は、お客様にも販売店にも大好評で、急速に全国の販売店に展開されていった。
ちなみに、システム台車に加えて、予約管理板や作業管理板などの改善アイテムを、ITの活用でさらに使いやすく進化させたシステムがe-CRBである。現在、e-CRBは、トヨタコネクティッドのディーラー向けソリューション事業の中核をなすシステムとなっている。
幕の内弁当と鶏そぼろ弁当
総勢約70名の業務改善支援室のメンバーは、普段は7チームに分かれて全国の販売店の現場に出張しているが、月曜日の朝だけは、全員、名古屋オフィスに戻ってきてミーティングをする。豊田も定期的に販売店に出向いて改善の進捗を確認していたが、改善が進めば進むほど、疑問に思うことがあった。
トヨタ創業期にトヨタの販売網を作り上げた神谷正太郎氏の有名な言葉に「一にユーザー、二にディーラー、三にメーカー」がある。しかし、「いまのトヨタはどうなのだろう?」と考えたのである。「メーカーはメーカーの都合でクルマを作り、それを受けて、販売店は販売店の都合でクルマを売り、すべてのしわ寄せがユーザー(お客様)にいっているのではないか?」。
この漠然とした疑問が明確になった瞬間があった。それは、東京へ出張する際の名古屋駅の新幹線ホームでの出来事だった。豊田は、移動中に昼食を済ませようとホームの売店で「鶏そぼろ弁当」を買おうとしたが売り切れている。そういえば、先回も売り切れていた。
「お客様が本当に食べたいのは実は鶏そぼろ弁当なのに、いつも売り切れて買えないから、幕の内弁当が売れる。その結果だけを見て、幕の内弁当は人気があると判断されているのではないか。それと同じようなことがトヨタで起きていないだろうか?」と考えたのである。
「トヨタは、本当に、お客様が求めているものを造っているのだろうか?販売店が苦労して、やっとの思いで、場合によっては無理して売ったクルマを、売れている!と勘違いしていないか?」。豊田は、業務改善支援室の月曜朝ミーティングで、メンバーたちにこの疑問を打ち明けた。
「もっとお客様との接点が欲しい…」
豊田はこの日から、口癖のように、ぼやきつづけていた。友山らメンバーたちは、「鶏そぼろ弁当と幕の内弁当」の話に、最初は目を白黒させたが、やがて豊田の強い想いに惹かれるようになっていった。
ITでお客様との接点を拡大する
「お客様との接点を拡大するのにGAZOOが使えるのではないか…」。
友山はそう考えると、「販売店の店舗ではなく一般の集客場所に設置するのにふさわしいGAZOO端末をつくれ」と、藤原に指示した。
藤原は、トヨタの新車、中古車情報に気軽に触れられる、街の情報端末を目指すため、画面や端末のデザインも一新した。多くの人に利用してもらおうと、TSUTAYAと連携して新作映画情報の動画も見られるようにした。このマルチメディア情報端末は「G-Tower」と名付けられた。
このG-Towerでは、検索された新車や中古車の検索頻度は日々集計されるしくみになっている。大袈裟にいえば、トヨタとしては初めてのダイレクトマーケティングITツールだったともいえる。いまならスマートフォンですべて済むところだが、97年当時はインターネットが普及していない時代。個人用のパソコンも普及が始まった時期であり、会社のパソコンもまだ一人一台でなかったし、ネットにもつながっていない。賢いワープロという位置付けだった。G-Towerは、そんな時代に、「もっとお客様との接点が欲しい」という豊田の想いに呼応して、友山らが編み出した苦肉の策だったともいえるかもしれない。
かくして、G-Towerは、お台場のメガウェブや池袋のアムラックス東京、さらにはTSUTAYA店舗やトヨタ生協、スーパーやデパートなどにも展開されていった。販売店店舗のGAZOO端末が「ディーラーネット」なら、公共の場に設置されたG-Towerは「エリアネット」と呼ばれた。
Eコマース、GAZOO商店街
G-Tower展開から1年もしないうちに、世の中には急速にインターネットが普及し始める。GAZOOにも、従来のディーラーネット、エリアネットに加えて、インターネット版のGAZOOドットコムが登場し、自宅や会社のパソコン、携帯電話からもアクセスできるようになった。そして、インターネットによるお客様との接点をより強化する目的で「コミュニティー」が作られた。毎日、GAZOOにアクセスしてもらうためのコンテンツとして、育成シミュレーションゲーム「がずぺっと」も提供。多くの会員がその育成に夢中になった。
さらには、99年12月には、お客様との接点をライフスタイル全般に拡大させる目的で、従来の新車・中古車情報サイトに加えて「GAZOO商店街」をオープンさせた。
クルマを購入したら、クルマで音楽を聴く、クルマで旅行する、クルマの本を読む、クルマのミニカーやプラモデルを集める、というように、顧客との接点をさらに拡大しようとしたのである。
こうしてGAZOOドットコムは、お客様とトヨタのダイレクトな接点となっていくが、世間の反響とは裏腹に、トヨタ社内の反応は相変わらず鈍く、「インターネットだか何だか知らないが、そんなものはメーカーのやる事ではない」という意見が趨勢だった。
GAZOO事業部設立
2000年1月1日、北米でインターネットが世の中を大きく変えつつあるのを目の当たりにしていた豊田は、業務改善支援室から社内ベンチャー的に始まったインターネット事業を、「GAZOO事業部」として独立させることを決意した。
「将来、インターネットと自動車事業が融合する時代が来る!」。豊田はそう予見していたのである。とはいうものの、トヨタ社内からはGAZOOは白い目で見られており、「GAZOOは豊田章男のホビーだ…」とまでいう者もいた。
このまま、押しつぶされるくらいなら、ここで大きく旗を上げてみよう!と決心したのである。事業部長に友山を任命し、豊田自身もその担当役員に就任した。まさに背水の陣を敷いての新たな船出だった。
GAZOO事業部が最初に手掛けたのは、GAZOO商店街の運営とマルチメディアキオスク端末の開発だった。GAZOOドットコムを立ち上げた後も、友山らは、GAZOO端末やG-Towerなど店頭に置く情報端末を見限ったわけではなかった。むしろ、Eコマースで培ったノウハウを持って、魅力的なマルチメディアキオスク端末を開発しようと意気込んでいた。販売店の店頭端末を、クルマ関連だけではなくて、もっと多くのお客様に利用してもらえる端末にしたい。その端末で、音楽のダウンロードや、デジカメのプリントサービス、コンサートのチケット販売などが出来るようにしたい。そういう想いを集約して完成させたのが、「e-Tower」だった。「e-Towerがあれば、自動車ディーラーに、クルマ以外のいろいろなお客様が来店するようになる」。そう考えていたのだ。
ところが、このe-Towerに興味を示したのは、トヨタの販売店ではなくコンビニチェーンだった。GAZOO事業部は、大手コンビニ5社からe-Towerをベースとした店頭端末の開発を持ちかけられた。この予期せぬ展開が、トヨタコネクティッドの前身である、「ガズーメディアサービス」の創業へとつながっていくのである。そして、創業から20年の間に、店頭に設置された情報端末は、車載情報端末へと進化していく…。
限りなくカスタマーインへの挑戦
豊田が求めた、「トヨタと販売店、お客様の間をジャストインタイムにつなぐ」というのは終わりなきテーマといえる。なぜなら、お客様のニーズはつねに変化するからである。
「改善後は改善前」。改善に終わりはない。この終わりなきテーマは、この頃から「限りなくカスタマーインへの挑戦」というGAZOO事業部のスローガンになり、現在のトヨタコネクティッドの企業理念となって受け継がれている。
こうして振り返ってみると、豊田と友山らによって始まった物流改善活動は、時流を掴み、時には時代に先んじてITを取り入れ、あるべき姿=ジャストインタイムに向かって、もの凄いスピードで前進してきているのだ。しかし、この取り組みがトヨタ社内で認められ、評価されるようになるのは、この時から20年近く待たねばならない。
それはあたかも、豊田喜一郎氏がトヨタを創業する時、当時の豊田自動織機の社内で猛反対を受けていたのと同じだった。しかし、豊田喜一郎氏には「必ず日本にもモータリゼーションの時代が到来する」という確信があった。だからこそ、社内の反対を押し切って、自動車事業を起業し、それが今日のトヨタにつながっている。
同様に豊田章男にも「必ずインターネット(IT)と自動車事業が融合する時代が来る」という確信があった。だからこそ、トヨタ社内の反対を押し切り、組織の壁と戦いながら、今日までやってこられたのである。
そして、その予見は見事にあたり、実際にいま、目の前にそんな時代がやってきている。100年に一度といわれる自動車業界の大変革期の到来。「C(コネクティッド)」「A(自動運転)」「S(シェアリング)」「E(電動化)」の頭文字をとって、「CASE(ケース)」のキーワードで語られる大変革。そして、この時代の競争相手はもはや自動車メーカーではない。現在はGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)やウーバーなど異業種を巻き込んだ、協調と競争のフェーズに突入している。このフェーズにあって、これまで蓄積してきた経験とノウハウ、そしてトヨタコネクティッドの創業は大きなアドバンテージとなっている。
昨今、トヨタは、カーカンパニーからモビリティーカンパニーに変革していくことを宣言した。つまり、クルマを製造する会社から、移動という価値そのものと、その周辺サービスを社会に提供する会社へと変貌していくことを宣言したのである。トヨタとお客様との接点は、クルマから社会へと留まるところを知らず、その領域を拡大していく。こうしたプロジェクトの実現において、トヨタコネクティッドが戦略事業会社として担う役割は重い。
繰り返しになるが、トヨタコネクティッドという会社の源流、さらにいえば、モビリティ・サービス・プラットフォームをはじめとした、ありとあらゆるサービス、プロダクトの源流を遡れば、すべてが96年にトヨタの一地区担当員が始めた新車物流改善につながっているのである。
この章の登場人物
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- 豊田 章男(とよだ あきお)
- トヨタ自動車代表取締役社長、一般社団法人日本自動車工業会会長
ガズーメディアサービス(現在のトヨタコネクティッド)初代社長 - 1984年トヨタ自動車へ入社後、配属された生産調査室で得たTPSを用いて販売店改善に着手。
現在も受け継がれるトヨタの改革の旗印「GAZOO」を産み出した。
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- 友山 茂樹(ともやま しげき)
- トヨタ自動車役員・Executive Fellow、トヨタコネクティッド元代表取締役社長
- 1981年トヨタ自動車へ入社。業務改善支援室でTPSを用いた販売店改善を現場で指揮。
お客様との接点拡大を使命にIT事業を推進。
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- 藤原 靖久(ふじわら やすひさ)
- トヨタコネクティッド専務取締役、トヨタ自動車e-TOYOTA部 主査
- 1987年トヨタ自動車に入社。パソコンに精通し、中古車画像システムGAZOOを開発。
友山とともにGAZOOの活動の中核を担った。