トヨタコネクティッド20周年企画連載 虹を架ける仲間達

第2章 テレマティクスの幕開け

コネクティッドセンターと顧客接点の進化

トヨタコネクティッドは、顧客接点のノウハウをゼロから積み上げてきた。運営はコンタクトセンターのプロ、アウトソーサーに任せる企業が多い中、トヨタコネクティッドは、自社運営にこだわる。顧客の声を自ら聞いて、問題を確かめ、真因を考え、改善する、トヨタの基本姿勢「現地現物」を体現する職場である。内製チームが業務改善、標準化を図り、業務委託先とともに効率的な運営をおこなうスタイルを確立した。

お客様の困りごとをワンストップで解決する

WiLL CYPHAにはオペレーターサポートサービスという、オペレーターがリモートでナビの目的地設定をしてくれるサービスがあった。走行中の規制の問題はナビの目的地設定でも同様に課題であり、走行中は車載機(ナビ)画面の操作ができないので、いちいち停車する必要があった。一般道ならともかく、高速道路を走行中は困ってしまう。一応、音声で目的地設定ができるようにはなっていたがこれまた使い物にならない。
そこで「オペレーターに電話して行き先を伝え、遠隔操作で車載機(ナビ)に目的地設定させよう!」と藤原は思いついた。急遽、ロードアシスト24(オペレーターが車両の現在地を確認してJAFの手配をするコンテンツ)に設計変更を加えて、ギリギリのスケジュールで追加したコンテンツだった。
藤原はその後も企画担当の松岡秀治とタッグを組み、アンダーテーブルで開発を進め、目的地設定だけでなく、お客様のさまざまなお困りごとをワンストップでオペレーターがサポートするプレミアムコールやオペレーターサービスへと進化させた。
「車載機(ナビ)のボタン操作は面倒だし、慣れてないので使う気にならない・使い方がわからない。実質、セーフティ&セキュリティのサービスのためだけにG-BOOKを契約している」というお客様にとっても、「これは一回使ってみよう!」という気にさせた。そして、何よりもわかりやすかった。困った時はオペレーターに電話すればいいのだから。
もし、藤原が開発中に、「走行中は目的地設定ができないのはルールだから仕方ない」とあきらめていたら、オペレーターサポートサービスは生まれていなかった。その後のオペレーターサービスもレクサスオーナーズデスクも生まれなかった。お客様の立場に立って考え、必要だと判断した場合は、挑戦をあきらめてはいけない。ルールにとらわれ過ぎてはいけないのである。

電話を通じてお客様とダイレクトに接する最前線

現在(2021年1月)、コネクティッドセンターは、トヨタコネクティッド本社に加え埼玉、山形、沖縄、名古屋の5拠点で運営している。2019年度の年間総コール数は約200万コール。その回数だけお客様との直接コンタクトがある。「お客様との接点」が企業ミッションのトヨタコネクティッドにとってコネクティッドセンターはその最前線であり、トヨタコネクティッドのコア・テクノロジーの一つである。
コネクティッドセンターは、テレマティクスサービス(G-BOOK、T-Connect、G-Link)のほか、My TOYOTA、G-Station、H2V Managerなどの顧客サポートを担ってきた。
コネクティッドセンターは、電話やチャットで顧客対応をする現場(デスク)とそれをサポートする部署で構成されている。サポート部署には、テクニカルサポート(不具合調査、データメンテナンス)、会員管理(会員登録、請求、発送)、人材開発(教育、品質管理)、ナレッジマネジメント、CX企画、ワークフォースマネジメント、業務委託先管理、システム企画・運用といった機能がある。現場(デスク)要員は、コアとなる内製チームをミニマムで編成し、業務委託との混成で成り立っている。
お客様からダイレクトに問い合わせや要請を受け、その場で対応を完結するコネクティッドセンターの運営ノウハウはトヨタコネクティッド独自のものである。20年の歴史の中で試行錯誤を繰り返し、改善の年輪を重ね、進化してきた。そして、いまや、コネクティッドセンターはトヨタのコネクティッド戦略においても重要な役割を担う。それはモビリティカンパニーへの移行を推進するトヨタ陣営のコアコンピタンスとなっているといっても過言ではない。
「G-BOOKがスタートする前から、GAZOO商店街にGAZOOコールセンターというお客様からの問い合わせに応対するチームがありました。G-BOOKのコールセンター開設にあたってはその経験がとても役立ちました」と初代コールセンター長だった山田哲は振り返る。
最初のコールセンターはJRセントラルタワーズ42階。友山の席の隣の奥の部屋にGAZOOコールセンターと並んで開設された。当時、GAZOOコールセンターの運用もガズーメディアサービスが担当していた。
GAZOOコールセンターの経験をもとに開設されたG-BOOKのコールセンターであったが、本格的なコールセンターにするにはまだノウハウが不足していた。そこで、コールセンター人材派遣会社である株式会社もしもしホットラインからオペレーターを10人程度派遣してもらってノウハウを学び、山田たちが目指す「トヨタ品質のトヨタらしいコールセンターのサービス」を一緒に作り上げていった。当時から心がけていたのは「少しでも親しみが湧くように、少しでも電話口から笑顔が伝わるように」ということ。お客様目線で考え、お客様に寄り添い、お困りごとを少しでも解決できるように誠心誠意、丁寧に応対するコールセンターを目指した。
一方で、電話をかけてくるお客様は運転中の場合も多い。それゆえ、通話はわかりやすく簡潔に。極力、短時間で完結することも求められた。最初の電話の取り方、お客様の本人確認の方法などいろいろ試行錯誤を重ね、トークスクリプト(応対シナリオ)を何度も作り直した。運転中のお客様の安全を考慮すると、極力、短時間で簡潔に。それでいて、失礼でなく、丁寧にわかりやすく応対する。山田たちがこだわり、苦労したポイントだ。
当時のメンバーには安藤正樹がいた。トークスクリプトの作り込みにおいては安藤が相当頑張った。「トヨタ品質のコールセンターを立ち上げるということでかなりプレッシャーがありました。お客様本位の応対を徹底。そして、お客様の要望やご意見を上手に聞き出し、汲み取る。ときには、ちょっとお節介なくらい、いろいろと提案ができるコールセンターにしたいと思っていました」と安藤は振り返る。とにかく、気負いすぎともいえるくらい高い志と目標を掲げて、G-BOOKのコールセンターはスタートした。

お客様にとことん寄り添う

立ち上げ時は対象車種がWiLL CYPHAだけで、車載機(ナビ)の目的地設定をお手伝いするオペレーターサポートサービスの受付時間も現在のように24時間体制ではなく、朝7時から22時まで。しかも有料サービスだったのでコール数は1日あたり数件から数十件。そんなに多くはなかった。コールが集中する日曜日でも4席のオペレータブースにマネジャー席が1席の5席体制で十分対応できるコール数だった。
2003年夏からG-BOOKの全車種への展開が始まり、徐々にコール数が増加する。あらかじめ、どの程度のコールがあるのかを曜日・時間帯で予測し、オペレーターの配置を計画する。時々、コールが集中して応対するオペレーターがいないということもあったが、そんな時はマネジャーやセンター長の山田が率先して電話を受けた。「3コール以内に必ず電話を取る」。当時はこれが決め事だった。比較的静かなフロアーにはカルタ取りをしているような緊張感があった。こうした地道な経験の中で、予測の精度を上げ、オペレーター配置のノウハウを培っていった。
コール数への対応もさることながら、何よりも大変だったのはオペレーターの教育であった。G-BOOKサポートセンターに寄せられる問い合わせは、単純な利用方法だけではなく、クレームや技術的な質問、時にはG-BOOKには関係ない車両や車載機(ナビ)の操作に関する問い合わせもあった。とにかくG-BOOKのオペレーターはいろいろなことに精通していなければいけなかった。「それはこちらではわかりません」と困っているお客様をたらい回しにはしたくない。オペレーターは必死で調べ、誠心誠意、お客様の困りごとに応対した。オペレーターのブースには車載機(ナビ)の端末が用意され、オペレーターはお客様と同じ画面を見ながら、一緒に操作をおこなって問題解決に尽力した。
当時は携帯電話の「ながら運転」が社会問題になっていて罰則強化の動きもあったため、携帯電話を車載機(ナビ)に接続してハンズフリーで通話したいという問い合わせがたくさん寄せられた。確かにあの当時はオペレーターサービスを利用するために携帯電話を接続しないといけなかった(2005年のG-BOOK ALPHAからは携帯電話と接続しなくてもDCMで通話できるようになった)。とはいえ、本来であれば車載機(ナビ)の取扱説明書に掲載されているコールセンターの担当である。しかし、G-BOOKのオペレーターはこれにも快く応対した。その応対には車載機(ナビ)と多種多様な携帯電話に関する幅広い知識が必要だった。そのため、30分以上、電話にかかりきりになることもあった。
また、レストランなどの施設を検索し車載機(ナビ)に目的地設定などをするオペレーターサービスのブースでも、立ち上げ当初は大変だった。現在のように豊富な店舗情報やスポット情報のデータベースがなく、専用の検索システムも脆弱だったので、情報検索はほぼ手作業。応対するオペレーターのバックヤードに2~3人が張り付いて、ネットで検索し、タウン情報誌などで調べてサポートした。当時、オペレーターはコールがない間はずっと全国各地のタウン情報誌を読んでドライブスポットや人気のレストランなどを頭に叩き込んでいった。なんとも涙ぐましい努力である。
また、全国各地からコールがあるため、方言が聞き取れなくて苦労することもあった。そのような場合に備えて、失礼のないように配慮しながら、上手に用件を聞き出し、会話をリードして用件を確認する練習をしていた。

限りなく改善が進むコネクティッドセンター

前述の通り立ち上げ当初はオペレーターに多分な負担をかけ、限りなく手作業でこれを乗り切ってきた。そして、その経験をもとに業務を効率化するためのさまざまな改善が進められた。「まず、自分たちでやってみる」からこそ、問題の本質が把握でき、そして、内製化しているからこそ、すぐにそれに対応して改善をすることができたのだ。
例えば、多種多様の問い合わせやクレームに対応する必要性に対しては「ダッシュボード」と名付けられたシステムを開発した。これは実際にあった問い合わせやクレームなどとともにその対応をデータベース化したものである。これに問い合わせ頻度や重要度の情報を加味して、問い合わせの多いものが上位に表示されるようにした。そして応対事例もより良い事例が生まれると上書きし、日々、アップデートしていった。
レストランや宿泊施設、駐車場、ドライブスポットなどの情報検索に関しては、外部のデータベースを買い集め、必要な情報がすぐに見つかるシステムを開発した。プレミアムコールやレクサスオーナーズデスクで紹介するオススメのレストランや宿泊施設のリストは情報誌などの情報も参考にして自分たちで作成した。
オペレーターの各ブースには、ステータスを視える化した小さなモニターを設置しており、各ブースの現在のステータス(通話中/保留/後処理など)とその経過時間が一目瞭然でわかる。通話が10分以上続くと、問題が発生している可能性があるため、モニターが赤点滅になり、管理者に異常を知らせる。いわゆる「工程管理の視える化」である。さながらトヨタの工場のようである。これもまた改善の成果であり、トヨタらしいコネクティッドセンターの特徴といえるだろう。
そのほかにもG-BOOKの会員が急増する中、会員登録が追いつかなくなるという問題も発生した。そこで、入会申込書の入力・登録作業をTPS(トヨタ生産方式)で改善。それまでは数人で手分けして入力していた登録業務を改め、登録ラインを作って流れ化。「1個流し」で登録することにした。登録業務を平準化し、工程管理を視える化することで、遅滞なく正確に会員登録ができるようになった。

お客様の声をフィードバックして改善を進める

2016年、コネクティッドセンターで働くスタッフが、目標をもっていきいきと働いてほしいという狙いで「コネクティッドセンターアワード」を創設した。表彰式は2020年で5回目を迎える。

【コネクティッドセンターアワード 各賞】
おもてなし賞/お客様に喜んでいただけた応対を自薦、選考
ベストパフォーマンス賞/応対品質、業務品質、生産性、勤怠を数値化
改善貢献賞/業務課題の改善 発表会で選考

応対品質の評価は、クオリティマネジャーが評価基準を基に実施しているが、「お客様がどう感じているかを知りたい」というオペレーターからの声を受け、2016年よりNPS(Net Promoter Score)アンケートを開始した。ご利用いただいた当日に、NPSアンケートへの回答を依頼する形で実施している。NPSアンケートでは、ダイレクトにお客様の評価とご意見を知ることができ、対応者本人の納得感が得られる。またフリーコメントでいただく多くのご意見・ご要望は、業務改善の考察として貴重な情報となっている。
コネクティッドセンターには、サービスや製品に関するお客様の貴重な声が集積されている。これらは担当部署へ定期報告をおこなっているが、広く企画・開発に携わる方々へ、ダイレクトにお伝えしたいと考え、2020年2月「第1回カスタマーボイスフォーラム」を開催した。お客様のお困り事や感謝の言葉をナマの声(録音)で聞いてもらうイベントである。トヨタから250人に参加してもらった。
お客様のナマの声は、来場者に伝わるものがあり、コネクティッドセンターに集積する情報の価値と情報発信への期待が高まった。イベント以降、タイムリーな情報提供手段として「カスタマーボイス速報」を発行することとなり、トヨタとの連携強化、課題の早期発見・解決につながっている。カスタマーボイスフォーラムは年1回の定期開催を継続していく。

アワード写真
トヨタの役員、部長がプレゼンターとして受賞者を祝福。
改善事例発表会の写真
改善事例発表会。伝える力を鍛える場でもある。

ヒューマン・コネクティッド

初代G-BOOKでは、センター型音声認識による目的地設定「コミュタローナビ」を提供していた。当時としては先駆的な機能だった。20年経った現在、「エージェント」はコネクティッドの基本機能である。「エージェントが進化すれば、人によるサービスは無くなる」という一般論があるが、トヨタは「ヒューマン・コネクティッド」を掲げる。シンプルなリクエストはエージェントが迅速に解決し、高度なサポートは人が寄り添う。「例えばドライブで出くわすネガティブな体験、『事故』『故障』『渋滞』『駐車場がない』『施設が見つからない』などを、人による高度なサポートでポジティブな体験に変えていく。そのために人ならではのサービススキルを磨いていきたいと考えている」と、コネクティッド本部副本部長の松尾陽子は語る。
「お客様との接点」として20年の歴史の中で進化してきたコネクティッドセンターは、トヨタコネクティッドのコア・テクノロジーである。人が応対するコネクティッドセンターとIT技術は両輪となって、トヨタのヒューマンコネクティッドを実現していくのである。

G-BOOKの普及拡大

本章の最後に、WiLL CYPHA以降のG-BOOKの進化の歴史を振り返る。
WiLL CYPHAに初搭載されたG-BOOKは改良を重ね、2003年8月にトヨタ全車種へのメーカーオプションとして展開が始まった。最初は同年5月以降に発売されたラウム、スパシオ、エスティマから搭載を開始。G-BOOK対応ナビはWiLL CYPHAで採用されたSDカードナビに加えて、DVDナビ、HDDナビが追加された。画面デザインも一新され、深いグリーンベースの落ち着いた操作画面にリニューアルされた。利用できるコンテンツはWiLL CYPHAのコンテンツが踏襲された。
また、このタイミングでDCMを搭載しなくても携帯電話につないでG-BOOKが利用できるフリーサービスがスタート。ユーザー拡大の取り組みが始まった。
2004年4月から、セルシオ、クラウン、ランドクルーザーの一部の上級モデルにG-BOOK対応ナビとDCMが標準搭載され、利用登録すればすぐにG-BOOKが利用できるようになった。車種別では高級車を中心にユーザーが拡大していったが、一方で、プリウスでも契約率が高かった。G-BOOKの先進性がプリウスの購買層とうまくマッチしたようだ。
この時期、本田技研工業株式会社は「インターナビ」、日産自動車株式会社が「カーウイングス」といったテレマティクスを展開していた。ただし、これらはいずれも携帯電話を使って通信をするタイプであり、専用通信機DCMを搭載しているのはG-BOOKだけだった。そして、この頃から自動車業界では次世代の自動車開発競争のテーマが「環境(低燃費)」と「テレマティクス」になると騒がれ始めた。
この追い風を彼らが見過ごすわけがない。友山はG-BOOKをトヨタ車に留まらず、他メーカーにまで拡大することを決意した。遡ること2001年後半より、水面下でG-BOOKを他メーカーに広げていくことを画策していたのである。とはいうものの、市場では競合関係にある他メーカーが素直にそれを受け入れるわけがなかった。友山は豊田に相談した。豊田は、「これからの自動車ビジネスには『競争と協調』が必要だ。テレマティクスの競争相手は同業者でなくIT系の異業種になるかもしれない。自動車メーカーがイニシアチブを取るために協調する必要がある」といって友山の提案を強力にサポートした。
折しも、トヨタの取締役であった豊田は、米国General Motors(GM)の副社長マーク・ホーガン氏と友人であり、いつかGM×トヨタの協業を進めようとお互いが考えていたのだ。そこに飛び込んできたのが、このG-BOOKだった。豊田の仲介の下、さまざまな検討が進められた。その結果、直接GMとの協業は実現できなかったが、GMと資本関係にあった、富士重工株式会社(現在の株式会社SUBARU)との協業を模索、ガズーメディアサービスがG-BOOKサービスをSUBARU車にOEM提供するという協業案が打ち出された。
この協業案を富士重工との実契約にまで落とし込んでいったのが、当時、ガズーメディアサービスの営業主任だった立石俊治である。
立石はこう振り返る。「あの時は必死でしたね。02年の初代G-BOOKの立ち上げ後、間もなく、突然、他社提供が決まったのです。まだ、何をどうするかも固まっていない中、直ぐに富士重工に売り込みに行くぞといわれ、日々変わる企画書を移動中の車内で何度も読み返しながら作戦を立て、先方の担当の方と交渉していました。大変でしたが、ワクワクしましたね。ただ進める上で課題になったのが、実は社名だったのです」。
富士重工の担当者はサービスの内容に対しては興味を示していたが、トヨタのサービスという色を可能な限り抑えたいという気持ちが強かったのだ。

ガズーメディアサービスからデジタルメディアサービスへ社名変更

企画書にはG-BOOKサービスを提供するサービスプロバイダーはガズーメディアサービスと記されていたのだが、GAZOOはトヨタブランドとして広く認知されており、その名が社名に入っている会社と契約することに懸念を示していたのだ。その課題を持ち帰った立石は急ぎ友山に相談した。すると友山は、「だったらうちの社名を変えてしまおう!」と、即決したのだ。
「とにかく、他メーカーとの契約が最優先でした。新たな社名も深く考えず、至極一般的な『デジタルメディア』でいいか…というノリだった。いま思うと少し拙速だったかもしれない」と、友山は振り返っている。
いずれにしても、急ぎ社名を変えた仮契約書をしたため、立石は、再度、富士重工を訪れた。その影響は絶大だったと立石は語る。「まさかトヨタさんが、会社名を変えてまで、このサービスを提案してくれるのですか?ありがとうございます!って、お礼をされたんですよ。その後は実際のサービスに向けた契約締結までスムーズでした。まさか、契約締結のために会社の看板を変えてくるなんて誰も予想できないですよ!」。
その交渉の日から間もなくの2003年2月、富士重工にG-BOOKを提供することが大々的に発表された。その2ヶ月後の2003年4月にガズーメディアサービスは、デジタルメディアサービスへとその名を変えた。

テレマティクスからコネクティッドへ

その後も、G-BOOKの進撃は止まらなかった。03年8月にはダイハツ工業株式会社へのG-BOOK提供を開始。2004年2月にはマツダ株式会社へのG-BOOK提供が発表された。
2005年、G-BOOKはG-BOOK ALPHAへとバージョンアップする。これまでのコンテンツとサービスをセーフティ&セキュリティとドライビング・インテリジェンス、アミューズメントの3つに整理。
それまで高額な通信費がネックで普及が進んでいなかった緊急通報サービスHELPNETをKDDIとのタフな料金交渉の末、標準サービスとして採用した。また、G-BOOKセンターが渋滞の発生を予測して最適なルートを案内するGルート探索を追加。従来の「カーマルチメディア」的な印象を払拭し、ドライバーにとって実用性の高いサービスに生まれ変わった。
そしてG-BOOK ALPHAをベースにレクサス向けにG-Linkを開発。レクサス全車にDCMが標準搭載され、すべての車種で納車から3年間無料でG-Linkが利用できるようにした。
G-Linkの先進性とオペレーターによるおもてなしのサービスはレクサスとの親和性が高く、レクサスの基本性能の一つとなった。それはライバル車との差別化にもなった。
トヨタブランド向けには、G-BOOK ALPHAをさらに進化させ、2007年にはG-BOOKmXをリリースする。
そしてこの年、アメリカで初代iPhoneが発売になり、日本でも2008年に発売が開始された。従来の携帯電話に比べて、さまざまなことができ、タッチパネルで操作するスマートフォンの登場により、ユーザーのITリテラシーが飛躍的に高くなった。そのことはG-BOOKのサービスに対する理解や利用促進につながった。
それと並行してG-BOOKのコンテンツの見直しを開始した。スマートフォンでできるサービスはスマートフォンに任せて、G-BOOKでは安心・安全を中心としたクルマの機能と連動したサービスにフォーカスしていこうという機運が高まった。
そしてスマートフォンが本格的に普及し始めた2014年にT-Connectを発表。このタイミングでサービスブランドの名前からG-BOOKが消えた。なぜなら、T-ConnectはG-BOOK mXまでの従来のサービスとはまったく考え方が異なる、まったく新しいサービスであり新しい挑戦だからである。
WiLL CYPHAに搭載された初代G-BOOKからG-BOOK mXまではテレマティクスだった。そして、T-Connectからはコネクティッドサービスに変わった。一見すると、同じようなサービスに見えるかもしれない。しかし、そこには天動説から地動説になったくらいの大きな変化、コペルニクス的転回、パラダイムシフトが起こっていた。これについて詳しくは第4章で紹介する。

KEY PERSON Interview

常務取締役
伊藤 誠

当時の写真

人は苦しいときに成長する
G-BOOKプロジェクトで学んだこと

G-BOOKのプロジェクトで一番印象的だったのは、G-BOOKの開発が遅れて、ご契約をいただいたコンテンツプロバイダー様に向けて、何か説明をしなければならないという時に開いた説明会での豊田さんの挨拶でした。「いま私たちは、トヨタが初めて自動車をつくったときと同じ場所にいます。いまの私たちには何もありません。あの時は、一緒に織機をつくってくれていた仲間の前に部品を並べて、『この中で作れるものがある方は、協力していただきたい』とお願いをしました。そして、その中で手を挙げていただいた方と、私たちはいまもつながっています。私たちは、いまはまだ自動車屋ですが、これからの未来には皆さんともつながっていきたいのです」。当時はまだ「コネクティッド」という言葉もなくて、いま思えば、自動車の走る・曲がる・止まるに「つながる」が加わった瞬間だったと思います。私自身は、デザイン会社からいまのトヨタコネクティッドに参加しました。当時はそれほどトヨタに興味がなかったのですが、それでもその丁寧で熱いメッセージは心にジーンときました。あの瞬間は、ある意味、私がトヨタをはじめて理解できた瞬間だったかも知れません。

「珍獣」と呼ばれた人たち

初めてG-BOOKのプロジェクトメンバーと会った時のことは、いまでもはっきりと覚えています。キティちゃんのUSBをジャラジャラ首から下げたおじさんとか、山から下りてきたような髭もじゃもじゃのおじさんとかの集団が、JRセントラルタワーズ42Fにあったオフィスの廊下を歩いてきた時に、「なんだこの人たちは!?」と思ったのですが、いつの間にか自分もその仲間に入れられていました(笑)。『ハイスクール!奇面組』ってマンガを知っていますか?もの凄く特徴的で、濃い5人組のギャグマンガなのですが、まさにあんな感じです。みんな「珍獣」のようなもので、賑やかでしたね。その他にも机の下でいつもキツツキを飼っている人がいたりとか(笑)(つまり四六時中貧乏揺すりが絶えない意味)。彼らはエンジニアやプロとして、仕事はできるんですが、人のいうことを聞かないんですよね。「あっ、天才というのはこういう人たちのことをいうのか」と思いました(笑)。
そんな彼らに一人だけいうことを聞かせられる人がいました。それが現コネクティッドセンターの松尾さんです。僕らは「松尾園長」って呼んでいました。そんな松尾さんも、元々は事務系の部署からエンジニアに転身したばかり。女性のニューキャリアの走りだったと思います。そういう意味でもG-BOOKは、我々にとって大きなチャレンジだったといえます。

まだ形になっていないものを売る

このプロジェクトでは初めて営業も経験しました。ある日、友山さんから「コンテンツプロバイダーの契約を100社取ってこい」といわれ、当時はジャパン・デジタル・コンテンツの社長だった藤井さんがアポイントを取ってくれた会社に、後ろから付いていきました。音楽、映画、ゲーム、ビジネス、WEB業界と、いろいろ行きましたね。それまではそれぞれの業界の中で競争していたのが、99年にNTTドコモのiモードがスタートして、一つのメディアの中でいろいろなコンテンツが競うようになったばかりの頃。はじめは資料もなかったのでホワイトボードをお借りして、図を描いて一生懸命にプレゼンテーションをしました。でも、まだ形にもなっていないビジネスの話を持ち掛けているので、なかなか信じてもらえなかったですね。その頃、アメリカ同時多発テロ事件が起こって、オフィスビルの入館が厳しくなりました。六本木の森ビルとかによく通っていたのですが、突然ビルの前の警備員に止められてしまって、なかなか中に入れてくれなかったんですよ。Tシャツ、ジャケット、ジーンズで金髪と銀髪の2人組ですからね。バンドの売り込みかと思われても無理はなかったでしょう(笑)。

苦しさの先にあったもの

プロジェクトの最初の頃は新しいことに挑戦できるのが楽しかったんですけど、その後の道のりは、とにかく苦しい思いしかなかったですね。人生で初めて仕事がイヤになりました(笑)。人間は経験がないことをすると、ゴールの見えないトンネルの中を走っているようなもので、心が折れそうになる。次から次へと課題が与えられて、「もういいじゃん」と思ったことも、一度や二度ではありません。モチベーションが戻ってきたのは、開発が佳境に入ってきて、いよいよG-BOOKが形になってきたとき。頭の中や企画書にあったものが形になるのは、やっぱり嬉しいものです。
ある日、横浜のパナソニックの体育館のような大部屋に集められました。出入口のところに門番のような人がいて、その日の課題が解決するまでは帰らせてもらえませんでした。そんな日が1カ月ほど続きました。ただそこまでいくと、「これを乗り越えれば…」という想いはみんなもあったんじゃないかな。人は自分のスキルやナレッジを越えたところで、初めて成長することができるんです。だからもし、いま苦しい思いをしている人がいたら、「いまが成長のチャンス」だとエールを送ります。

KEY PERSON Interview

専務取締役
藤原 靖久

当時の写真

トヨタコネクティッドは
昔からプラットフォーマーだった

私のシステム開発のポリシーは「シンプル、コンパクト、スピード。改善し続けられるシステム」であること。これは昔から現在まで一貫していて、変わりはありません。
これまで手がけてきたシステムは、すべてTPS(トヨタ生産方式)の考え方に則ってシステムを作っています。TPSの考え方は一般のITの考え方とは少し違っています。簡単に説明すると、一般のITでは土管みたいなものを作り、その中に情報やコンテンツを流します。しかし、そこで流す情報やコンテンツはあらかじめ決められたものに限定されます。最初に限定してがっちり型にはめていくのが一般のシステムの作り方です。
それに対してTPSでは「流れる情報やコンテンツは毎日変わるはずだ。毎日、変わらなければおかしい」という考え方に立ってシステムを作ります。ですから、土管みたいなシステムではダメなのです。自ずと、プラットフォーム型のシステムになります。
線路の上をいろいろな方面からのいろいろなタイプの列車が入線してくる駅のプラットフォーム(乗降場)を思い浮かべてください。列車が着くといろいろな人が乗降し、荷物が積み下ろしされます。そして列車はそれぞれの目的地に向けて出発していく。到着する列車はどこからきたのかという出発地も違えば、乗り降りする乗客、荷物、さらには目的地も列車ごとに異なります。そんないろいろな列車、乗客、荷物がみんなで使える駅のプラットフォーム(乗降場)のように、オープンで拡張性があるシステムがプラットフォーム型のシステム(共通基盤)です。
e-TowerもG-BOOKも、最初からプラットフォーム(共通基盤)として開発してきました。e-Towerはモビリティではなかったけれど、クルマの中に作ったG-BOOKは最初のモビリティ・サービス・プラットフォームでした。そして、トヨタコネクティッドはガズーメディアサービスの時代からプラットフォーマーだったわけです。

一歩ずつ確実に前に進めてきた

コンテンツ提供会社、ユーザーの双方にとって、安価で使い勝手の良いシステムにしていくことがプラットフォーマーの使命です。いくらいいシステムを作っても、通信費やアプリケーションの開発費などのコストが高くて、利用料金も高いと誰も使ってくれません。また、操作が複雑だとユーザーがついてきてくれません。スマートフォンが普及する以前はタッチパネルの操作に不慣れな人が多く、特にクラウンなどのお客様はご高齢な方が多くて、使いやすいシステムになるよう気を配りました。ヘルプネットやG-Securityなど安心・安全のサービスは「お客様との絆」ともいえるサービスです。絶対にトランザクションを途絶えさせるわけにはいきません。さらに、走行時の規制をはじめ、さまざまな規制や制約があります。
こうした目の前の課題や制約を一つずつクリアして、一歩ずつ確実に前に進めていく。G-BOOKの開発はその積み重ねの連続でした。課題や制約が明確になっていれば、やり方を絞り込むことができる。あとは知恵を出してクリアすればいい。さまざまな課題や制約はむしろ開発の糧となりましたね。
例えば、e-Towerでは格安国際電話のプリペイドカードがあんなにヒットするとは思いませんでしたし、デジカメプリントサービスが工事現場の竣工記録に使われるなんて開発者はまったく想像すらしていません(笑)。
G-BOOKにおいてもスタート時はずらりと並べたコンテンツをお客様の利用状況や環境の変化に合わせて、継続して見直し、ブラッシュアップしてきました。苦労して作ったものでも、捨てる・壊すことが重要ですよね。また、当初は手作業でやっていた制御をどんどん自働化していく。古いやり方を捨て、新しいやり方に変えてきました。そして、身軽になり、新しい技術を取り入れてサービスを追加していきました。
こうしたプロセスを経て、G-BOOKはクルマの状態の遠隔診断ができたり、実走行データをもとにさまざまなサービスを提供したり、クルマの開発にフィードバックするなど、所謂、コネクティッドサービスへと進化してきました。
こうした進化は一足飛びにはできません。これまでの地道な改善、継続して使い続けてくださるお客様との信頼と対話の積み重ねの上に実現できたことです。これまでのプロセスはそのままコネクティッドサービスの競争力になっています。

限りなき内製化の精神

TPSには限りなき内製化という考え方があります。「最初は自分たちでやってみる。使用する道具は内製する。外注した仕事や道具はブラックボックスになってしまい、改善や改良が進まなくなる。だからこそ内製することが必要」という考え方です。コネクティッドセンターの立ち上げや運営も基本的にこの考え方でおこなってきました。
G-BOOK MLとデバイスゲートウェイの開発も限りなき内製化の一例です。私が昔からこだわってきた「シンプル、コンパクト、スピード。改善し続けられるシステム」という開発ポリシーは内製だからこそ実現できます。「自ら開発し、自ら改善を続ける」。この2つの事例はトヨタコネクティッドの開発スタイルの原点を表すエピソードであり、最近話題の「ソフトウエア・ファースト」という考え方そのものです。

創業の原点に立ち返る

しかし、会社が大きくなるにつれてトヨタコネクティッドでは、要員以上に仕事が増え、顔が見えない外注に開発させるゼネコン開発が中心になってきていました。それではいけないと反省し、2年前から内製化切り替えプロジェクト(DevOps)を始めています。
トヨタコネクティッドはトヨタが展開するネットビジネスの実働部隊であり、一般のお客様とダイレクトに接する接点となる会社として設立されました。e-TowerもG-BOOKも企画や開発、製造しているのはトヨタです。トヨタコネクティッドはトヨタから販売やサービスの提供、システム開発、運用、保守を受託している関係です。
しかし、受託先として、依頼されたことだけをやっていては、ビジネスは前に進みません。何よりも改善が止まってしまいます。ベストパートナーとして、表裏一体の関係として志を同じくし、当事者意識を持って一緒に取り組んでいくことが必要です。そして、トヨタコネクティッドには現場があり、お客様とダイレクトに接していることを忘れてはいけません。私たちは単なるシステム開発会社ではないのです。

この章の登場人物

  • 松岡 秀治(まつおか ひではる)
    トヨタ自動車 コネクティッドカンパニー Executive Vice President
    トヨタコネクティッド・ノースアメリカ 社外取締役
    G-BOOKの企画のリーダーとしてオペレーターサービスを始め様々なサービスの立上げや、プロモーション、マーケティング活動全般を歴任し、トヨタのテレマティクス発展に大きく貢献、その活躍からMr.テレマティクスと呼ばれるほど。融和で温厚な性格だが、瞬時に理論的な思考で抜け目ない交渉を得意とする、みんなの「兄貴」的存在。トレードマークはマッシュルームカット。(ちなみにマッシュルームカットは、2015年に卒業、周囲をざわつかせた。)。企画肌ではあるが、根っからのクルマ好きで、若かりし頃は、愛車の80スープラを日々カスタムしていたことも。持ち前の性格と豊富な知識でトヨタ社内はもちろん、社外からも絶大な信頼を得ており、これからのトヨタのコネクティッド戦略における牽引者である。
  • 山田 哲(やまだ てつ)
    株式会社トヨタマップマスター常務取締役
    ITS企画部でMONETや@ナビの担当からGAZOO事業部に異動してきた。G-BOOK車載端末の開発を経て、初代G-BOOKコールセンター長としてコールセンター立ち上げを担当する。数々のサービス運用を構築する縁の下の力持ち。
    その後、GMSに出向。取締役として日進のデータセンターなどを担当。温和な性格で面倒見がよく、社内外にも顔が広い。メンバーが困っていると「誰々さんに訊け」と言いながら、すぐに電話をかけてくれる。両手に電話を持ちながら面談をしている姿は、メンバーも驚いたほど。同時代に山田が2人いたことから、周囲からは「てつさん」と呼ばれ、慕われた。仲間うちでは「ピグモン」似で有名。
  • 松尾 陽子(まつお ようこ)
    トヨタコネクティッド コネクティッド本部副本部長
    ITS企画部からGAZOO事業部に異動。曲者が集まったGAZOOチームをまとめる猛獣使いの異名を持つ。G-BOOKではトヨタ販売店に対するG-BOOKの展開サポートを担当。松尾がリーダーを務めたそのチームには男子スタッフは1名だけで残りは全員女性だったことから「展開女子チーム」と呼ばれ、G-BOOKの会員拡大に大きく貢献。また、毎年年始に開催されていたe-TOYOTA部との合同新年会の芸能大会では人気を集めてきた。その後、トヨタメディアサービス(TCの前身)に出向し、現在のコネクティッドセンター構築おいて、仕事のやり方や仕組みの改革を推進。人材育成の面でも新しい制度の導入などを積極的に図ってきた。オペレーターやお客様の声の代弁者として絶大な信頼を誇る。

著者プロフィール

  • 宮崎 秀敏(みやざき ひでとし)
    ネクスト・ワン代表取締役
    1962年、広島生まれ。1997年リクルートを退職後、ひょんな縁で業務改善支援室の活動に帯同。
    98年、同室の活動をまとめた書籍『ネクスト・ワン』(非売品)を上梓。会員誌の制作やコミュニティの運営などでGAZOO、G-BOOK、e-CRB、GAZOO Mura、GAZOO Racingなどの立ち上げに協力しながら取材活動を継続。