第4章 暴風雨の中、新たなスタート
トヨタメディアサービスの北米進出
2017年7月、トヨタメディアサービスはトヨタコネクティッドに社名変更する。創業時のガズーメディアサービスに始まり、デジタルメディアサービス、トヨタメディアサービスとこれまでは、ずっと社名には「メディアサービス」が付いていた。トヨタコネクティッドはこれまでも紹介したように、GAZOOがコンビニなどに展開するマルチメディア・キオスク端末e-Towerを販売し、運用・保守する会社として創業した。このビジネスをそのまま社名にすれば「ガズーメンテナンスサービス」となる。それをあえて「ガズーメディアサービス」にしたのは、「GAZOO事業部の活動をサポートし、さまざまなITビジネスの創造を担う機動的な会社にしたい」という創業者の豊田や友山の気持ちが社名に込められていたからである。しかし、2017年の社名変更では社名から「メディアサービス」が消え、「コネクティッド」に変わった。新社名の「トヨタコネクティッド」には「お客様との接点を構築する」「人とクルマと社会をつなぐ」「つながるサービスを提供する」といった会社のミッションやコア・コンピタンスが表現されている。そして、この社名変更のきっかけを作ったのは2016年1月に海外戦略事業体(SBU)として北米に設立されたToyota Connected North America(TCNA)であった。そして、TCNA設立は社名だけでなく、タイや中国、インド、欧州、中東を含む、グローバルのトヨタコネクティッドグループ全体の位置付けやビジネスの仕方、外部からの見え方を大きく変えた。本項ではその設立までの経緯を紹介する。
名古屋・栄の居酒屋で桃園(とうえん)の誓い
いま手元に1枚の写真がある。撮影されたのは2014年5月の中旬。場所は名古屋の繁華街・栄のとある居酒屋の個室である。
この日の昼間、名古屋でトヨタのグローバルCIO会議が開催された。そして、その夜、中島雅弘がその会議に出席するために名古屋に来ていたザック・ヒックス(Zack Hicks)を含むTMNA(Toyota Motor North America /北米トヨタ)のIS(情報システム部門)のメンバーと少人数でのアットホームな宴会を企画したのである。
写真の中央に写っている米国人がザック。その左隣が友山茂樹、左端がネッド。右手前で上機嫌なのがサンディ。残り二人もTMNAのISメンバーである。サンディは実はISのメンバーではなくTMNAのCVT(Connected Vehicle Technology)の所属だったが、たまたま別件の商品レビューがあって、名古屋に来ていたので、この会食に合流した。そして、友山は別の用事があったため、この会食には来ないことになっていたはずだったが、急に中島のスマートフォンに「いま、どこにいるんだ? 店を教えろ。いまから行く」と連絡が入り、いきなりドカドカとやってきたのであった。そしていつもの通り、「なんだ、この小汚い店は。わざわざ米国から来てもらってるんだ、もっといいお店にご案内しないか!」と中島を躾けてから席に着いた。そして、そこからは友山も上機嫌で、ザックたちとの旧交を温める。とても盛り上がった会食となった。
なぜこんなどうでもいいような話を長々と紹介しているかというと、この写真に写っているザック、ネッド、サンディ、友山そしてこの写真を撮影した中島の5人こそ、この2年後の2016年1月、北米に設立されるTCNAの創業メンバーなのである。
中国の古典『三国志演義』の序盤に劉備と関羽、張飛の3人が宴会にて義兄弟の契りを結び、生死をともにする宣言をしたという「桃園の誓い」という有名な逸話が出てくる。「我ら3人、姓は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」というやつである。
別にこの場で友山がザックたちと義兄弟の契りを交わしたわけではない。また、「会社を一緒に作ろう!」と約束したわけでもない。この会食はあくまでも親しい仲間が集まって、楽しく飲んでいただけである。もっとも、酒が進んで、「いつかまたこのメンバーで集まって、北米で何か面白いことやりたいなあ」と盛り上がったのは事実である。そして、この会食からわずか2年後に、彼らはテキサスで一緒に会社を創業することになる。もちろん、この時は誰1人として、そんなことになるとは予想していなかった。
いま振り返ると、この日の何気ない会話がTCNAにとっては桃園の誓いだったということである。
もう一度、北米進出に挑戦しよう
そんな友山たちに転機が訪れる。そのきっかけをくれたのは栄の居酒屋で席をともにしたサンディだった。翌年2015年のグローバルCIO会議は米国で開催された。グローバルCIO会議に中島を連れて参加した友山はそのついでにTMNAのサンディのオフィスを訪ねた。実は友山の訪米に合わせて、サンディから「話があるからちょっと来てくれ」という要請があったのだ。サンディの用件というのはPHVのサービスの一つ、eConnectのコストに関する苦情だった。この苦情を噛み砕いていくと要は「eConnectの日米間の商流が複雑で、間にいろいろな中間業者が入っているため、マージンが何回も発生して、割高になっている。これをなんとかしてほしい」ということだった。そして、次のアポイントメントに移動する飛行機の中で中島が友山に呟いた。「さっきのサンディからの苦情なんですけど、これって、裏を返せば、トヨタメディアサービスが日米の両方をやれば解決しますよね。トヨタメディアサービスを米国にも作って、そこで完結させればいいのでは?」。これを聞いて友山は思った。これはビジネスのネタになる。これならTMNAはお金を払ってくれると。
そこで急ぎその商流の案を企画書にまとめ、サンディにもう一度会って、プレゼンした。そして、サンディから「いいんじゃない」と好感触を得る。これがきっかけで、友山はもう一度、北米進出を考えてみようという気になった。そして「どうせやるならeConnectだけじゃなくて、ビッグデータを管理する会社を北米に設立しよう」ということになった。本当は北米のTSPを担う会社にしたかったけれど、それは2回も失敗しているのでもう懲りていた。ビッグデータ・ビジネスならTMNAの協力が得られると考えたのだ。
新会社設立にザックを巻き込む
こうして過去のトラウマを振り払い、友山はもう一度、北米に海外戦略事業体(SBU)を設立しようと決心した。そして、「このプロジェクトにはザックを巻き込んだ方がいいな」と考えた。その背景にはおそらく2つの理由があったようだ。
1つはザックやネッドたちがビッグデータに関心があることを知っていたからである。先のグローバルCIO会議では友山が、訪米の直前にトヨタの戦略副社長会で決裁されたばかりの「世界中のトヨタ車に100%DCM(専用通信機)を標準で装着する」という新しい戦略を発表した。これは会議の出席者全員に相当なインパクトを与えた。会場がどよめいた。
世界中で年間数百万台販売されるトヨタ車にDCMが装着されれば、ものすごい量のデータを収集できる。それは紛れもなくビッグデータと呼ばれるものである。そのデータを解析し加工すれば、いろいろな分野で応用でき、どんどん新しいビジネスを創造できる。
この発表を聞いて、ザックとネッドはすごく興奮していた。特にネッドは前職のマイクロソフトでビッグデータのスペシャリストとしての経験もあったので、すごく食いついてきた。会議の休憩時間にわざわざ友山の席まで来て「ついにコネクティッドをやるんだな。僕はずっとDCM100%装着をやった方がいいとトヨタにいってきたんだ。やっと重い腰を上げてくれたんだね。ぜひ、一緒にやろうぜ」と声をかけてきた。
Toyota Connected North America(TCNA)の設立
中島は、早速、ザックとネッドに「北米にグローバルビッグデータを管理する会社を設立しようと思っている。協力してくれないか?」と声をかけたところ、彼らは興味を持ってくれた。それから2ヶ月もしないうちに、最初のワーキング・ミーティングをロサンゼルスでやった。このミーティングでは、口頭ながら「北米に新会社を作ること。そしてその会社には、トヨタメディアサービス以外にマイクロソフトにも出資してもらう」ということでザックやネッドと合意した。2015年7月頭のことだった。
すぐに友山はザックと一緒に、シアトルに飛び、マイクロソフトを訪問。7月8日、CEOのサティア・ナデラに会い、新しく設立する北米の海外戦略事業体(SBU)への参加を要請。賛同を得た。
もともと、ザックはトヨタグループのISのスタンスに対して、不満というか危機感を持っていた。「トヨタは本来、モノづくり文化・内製化の文化の会社だ。しかし、ことISの分野では完全に丸投げをしている。しかも、その開発のやり方は古いウォーターフォール型(上流から下流へ水が流れるように手順に沿って、かつすべての要件を開発していく)だ。だから大きなシステムだと構築に5年くらいかかる。しかも、外注しているから自分で直せない、改善ができない。いざ、手を入れようとしたら、またさらに5年が必要になる。こんなことをやっていたら、トヨタ陣営は時代に取り残される。しかも、これからの競争相手はGAFAのようなITカンパニーになる。このままでは確実にトヨタ陣営はGAFAに飲み込まれてしまう」と思っていた。だからザックは、「グローバルトヨタに足りないエンジニアリング・カルチャーやアジャイル・カルチャーを牽引する会社を作りたい」と本気で考えていた。そして、腰掛け程度に設立を手伝うのではなく、自分が経営のトップに立ってやってもいいとまで腹をくくっていた。
マイクロソフトを訪問した翌々月、2015年9月17日、友山、ザック、中島は、名古屋でミーティングをおこなった。そして、「社長はザックにする。エンジニアは内製化する。人員計画はザックに委ねる。新会社は北米のTSPとなることも視野に考える。そして、中島がその会社に出向する」ことを確認し、トヨタメディアサービスの北米事業体設立を決定した。
そして、2016年1月13日。シアトルのホテルの会議室で設立取締役会を実施。登記を完了した。このニュースは日本でも大きく報じられた。「マイクロソフト、トヨタが新会社」「『つながる車』拡大へ基盤」「通信機器、標準搭載へ」。新聞にはこんな見出しが飛んだ。
新会社の社名は「Toyota Connected(のちのTCNA)」に決めた。発案者はザックだった。友山と話し合って、この社名に決めた。何をしたいのかが、すぐに伝わるシンプルでわかりやすい名前だった。この頃は、欧州やロシアで緊急通報サービスの新車への搭載が義務化の動きが加速するなど、「コネクティッドカー」「つながる車」という単語がマスコミでも盛んに使われていた。友山たちはTCNAを「次世代のトヨタを支える会社にしたい」と自分たちだけで勝手に考えていた。だから「いまのトヨタと次のトヨタのブリッジになる会社」という想いを社名に込めて、「コネクティッド(つなぐ)」を社名に入れた。TCNAは「いまのトヨタと次のトヨタをつなぐ(コネクティッドする)会社」を、さらにはクルマとクルマ、人と人、人とクルマと社会をつなぐ(コネクティッドする)会社を目指した。
会社設立後は、COOとして中島が新会社に出向した。中島は番頭として、日本との調整役を担い、ザックたちがやりやすい環境を作ることに努めた。新入社員第1号としてKAORIが入社。中島をサポートした。DMAPのオー、BMTSの光武の役割を北米ではKAORIが担った。
しばらくは本社オフィスが決まらず、その間はTMNAやトヨタファイナンシャルサービスのオフィスに間借りしながらのジプシー生活が続いた。この間も、中島は精力的に毎月、オースティン大学に足を運び、リクルーティング・ブースを構えて、優秀な人材の採用に尽力した。TCNAにとって、最初の業務は採用活動だった。もちろんザックやネッドも熱心に優秀なエンジニアを口説いて回った。全員がリクルーターだった。優秀な人材を確保することがTCNAの競争力の源泉になる。リクルーティングは最優先ミッションだった。この考え方は今日でも変わらない。そして、初年度は40人の採用に成功した。
エンジニアリング・カルチャーとアジャイル・カルチャー
2017年1月15日に待望のオフィスがテキサスにオープン。ここから本格的な業務を開始する。しばしば勘違いされることがあるが、TCNAは研究開発を担う会社ではない。日本のトヨタメディアサービスなどと同じくソフトウエア開発をおこなう会社である。「号口をつくる会社であり、号口で世の中を変えていく会社。私たちは研究開発機関ではない」。これはザックや中島たち創業メンバーがたびたび、話し合い、確認してきたことである。
最初に彼らが手がけたのは「トヨタ・ビッグデータセンター(TBDC)」の構築であった。世界中のトヨタ車から上がってくる車両データを収集・整理・格納するデータセンターの開発を友山はすべてTCNAに任した。
TBDCには世界中のトヨタ車から膨大な量のデータがリアルタイムで、どんどん集まってくる。それをそのまますべて集積していくと、たちまちサーバーがパンクする。クラウドの利用コストもすごいことになる。そして、何よりも、そんな未整理のぐちゃぐちゃなデータは使えない。だから、ビッグデータでは集めたデータを仕分けし、図書館のようにきちんとと整理して格納しておかないと意味がない。TCNAはそれを見事に、そして短期間で素早く開発してみせた。そして、TCNAには多数のデータサイエンティストが在籍している。彼らがデータの解析をおこない、クライアントが必要な形に加工して提供する。例えば「このクルマはあと何キロ走行したら、壊れるのか?」という問いに対して、過去のデータを分析し、瞬時に予測を回答できる。こうしたデータはトヨタをはじめ、トヨタのコネクティッドサービスを利用しているSUBARU、マツダなどで車両の開発などに活用される。メーカーの開発者たちは自社のユーザーたちがどのようなクルマの乗り方をしているのかをデータで知ることができる。「一般のドライバーはどのタイミングでどのようにブレーキを踏むのか?」。ブレーキのかけ方、アクセルの踏み込み方…。こうしたデータは新車を開発する上で、極めて価値の高いデータとなる。それはテストコースでのテストドライバーによる試験走行では得ることができない、一般ユーザーの貴重でリアルなデータだからである。
こうしたさまざまな解析データを必要としているクライアントは自動車メーカーだけに限らない。TBDCの解析データはTCNAを通じて、ハーツやエイビスなどレンタカー会社、ウーバーやGrabなど配車サービスの会社、保険会社などクライアントに提供されている。TCNAはTBDCの事業を通じて、クルマと自動車メーカー、さらにはクルマとさまざまなビジネスをコネクティッド(つなぐ)しているのである。
トヨタコネクティッドグループの確立
TCNAでは、現在、クライアントからのさまざまなリクエストに対応して、データを自動で抽出し、解析するアルゴリズムやAPI(Application Programing Interface)の開発を進めている。将来的にはデータサイエンティストの手を借りなくてもユーザーがパソコンからTBDCにアクセスし、必要なデータを引き出すことができるようになるはずだ。
そして、伊藤誠が2011年に制作した「トヨタスマートセンター20XX年〜君がいてよかった~」の動画にあった未来のクルマと社会のあり方の世界がいま、TCNAによって実現されつつある。動画にたびたび登場するAI「マイ・エージェント」の開発が急ピッチで進んでいる。きっと来年にもリリースされるはずである。
また、次章で詳しく説明するモビリティ・サービス・プラットフォーム(MSPF)の開発もTCNAに任された。
なぜ、友山はこうしたトヨタのコネクティッド戦略の核となる重要な開発をすべてTCNAに一任したのか?というと、TCNAがエンジニアリング・カルチャーとアジャイル・カルチャーを大切にする会社だったからである。ザックたちのこの2つのカルチャーを大切にする考えは、豊田や友山の考えともぴったり一致していた。だから、思い切って重要な開発をすべて彼らに任せた。さらにはそれによって、グローバルのトヨタのIS文化を変えていきたいと思っていた。そしてザックたちはその期待に見事に応えてみせたのである。TCNAはトヨタのISに足りないエンジニアリング・カルチャーとアジャイル・カルチャーを牽引する会社となった。そして、その開発成果は、世界に展開するすべてのトヨタメディアサービスの海外戦略事業体(SBU)が共有できるのである。
その協業体制を名実ともに具現化するため、2017年7月にヘッドクォーターであるトヨタメディアサービスも、トヨタコネクティッドへと社名を変更した。これを機に従来のコールセンターもただ単にサービスを提供する組織から、お客様とのコネクティッドを創出する戦略組織「コネクティッドセンター」へと変わった。
そして2018年の11月にタイ、中国、中近東、インド、欧州の海外事業体の社名もトヨタコネクティッドから始まる社名に統一された。ここに、日本のトヨタコネクティッドを中心に、北米のToyota Connected North America (TCNA)、欧州のToyota Connected Europe (TCEU)、アジアパシフィックのToyota Connected Asia Pacific(TCAP)、中国のToyota Connected China (TCCN)、中近東のToyota Connected Middle East (TCME)、インドのToyota Connected India (TCIN)というように、トヨタコネクティッドグループが確立した。
KEY PERSON Interview
カルチャーが人を集め、組織を動かす
中島雅弘
当時、トヨタメディアサービスの私は、2007年からタイDMAP(現在のTCAP)、2013年には中東のMETS(現在のTCME)でトップマネジメントとして経営に携わらせていただきました。そして2016年、米国のトヨタコネクティッド(現在のTCNA)の設立にあたりCOOとして渡米した私は、それまでの経験を活かしてオフィスの準備や採用に着手しようとしました。ところがCEOのザックは、私の意見を一つとして採用しようとはせず、代わりに創業メンバーたちを「Executive Off-site(エグゼクティブ・オフサイト)」と称して毎日集め、時にはホテルの会議室、またある時は雰囲気を変えてカフェに誘い出し、どのような「カルチャー」の会社を目指すか、そしてそのカルチャーを実践するための、採用戦略、人事戦略、オフィスの構え、ブランディング、会社のツール、ドレスコード、就業ルールに至るまで、喧々諤々と議論させました。オフサイトは時に12時間以上に及ぶこともあり、日本人の私には衝撃の体験でしたが、2週間ほどで、創業メンバーたちは目指す姿を完全に共有していきました。そうして決めた「トヨタらしいソフトウエア・エンジニアリング・カルチャー」、「アジャイル」というビジョン、理念を実践するためのそこからの創業メンバーのすべての動きには、タスクごとにバラバラに動いていても、迷いはありませんでした。当時の私はついていくのに必死でしたが、彼らとの仕事を通じて、「カルチャー(Culture)」という英語の本当の意味を知ることができました。これは、現在の私の活動の礎にもなっています。
それまで私は「Culture」を単純に「文化」と訳して、自分の中で理解していました。でも、ザックたちが私に教えてくれたのは「カルチャーというのは積み上げていくもの、滲み出てくるもの」ということです。英語の「Culture」の語源はラテン語の「culere(耕す)」です。ですから、英語にはこの語源に直接由来する「養殖」「栽培」「耕作」「培養」という意味があります。日本人がよく使っている「教養」「文化」「文明」という意味は、「心を耕す」というところから転じて生まれた意味です。本来は「耕す・育てる」であり、だから「積み上げるもの」なのです。カルチャーは人から与えられたり、最初から出来上がっているものではありません。自分たちで畑を作って種を蒔き、手入れをして、守り、育てるものなのです。
そして、カルチャーが人を集めます。人を採用し、組織を作り、ビジネスを進めていくにはカルチャーが必要です。特に転職の多い欧米では、従業員は「Cultural Fit(カルチャーが肌に合うか)」を会社選びのもっとも重要な要素として見ます。逆にいえば、明確で強固なカルチャーを持っている会社には優秀な人材が集まるのです。そして、その会社はやがて高い価値を創造する会社に成長していきますよね。
我々らしいソフトウエア・エンジニアリング・カルチャーとアジャイル開発
「ソフトウエア・エンジニアリング・カルチャー」の前提として、開発は内製化を目指します。開発に関連する社員(ディベロッパー、プロダクトオーナー、スクラムマスター等)の比率を8割以上に保ち、エンジニア同士が常に情報交換、あるいは時に刺激し合える環境を作ります。そして、彼らの工数のほとんどを実開発業務に使えるよう、自動化できるものは全てツール化し、ある意味、開発の現場を、同じ人々の集まる工場のようにするのが一般的です。しかし、TCNAのリーダーシップチームが目指したのは常に、人が入れ替わり短期で大きなお金を稼ぐカルチャーではなく、トヨタらしく「人間性を尊重」し、「たゆまぬ改善」を全員で目指す、暖かなソフトウエア・エンジニアリング・カルチャーでした。
そして、「アジャイル」です。なぜこれが我々らしいのかといえば、今ではソフトウエア開発のスタンダードとなったアジャイル開発は、2001年にアメリカで17名のエンジニアが集まり、小単位で実装とテストを繰り返して開発を進めていく手法を「アジャイル開発宣言」としてまとめたところから始まったとされています。この17名のエンジニアがおこなった形こそ、小ロットで、必要なものを、必要なときに、必要なだけ提供するという点で「TPS(トヨタ生産方式)」と、とても似ていると私は思います。
またアジャイル開発では優先順位を決めて開発します。世の中の変化に合わせて、毎日、開発の優先順位の見直しをします。優先順位の低い要件はいつまでたっても着手されません。昨日まで優先順位が低かった要件が、突然、上位になることもあります。優先順位は利用者(お客様)にとっての価値で決定されます。まさに現在もトヨタコネクティッドの企業理念にある、「限りなくカスタマーインへの挑戦」そのものですよね。TCNAの創業者たちは、この姿を継承しようとしたのです。事実、ザックらは、Executive Offsite で、なぜ20年前にガズーメディアサービスが設立されたのか、何を目指していたのか、を私に何度も確認し、このカルチャーを決定したのです。
私はこのチームの一員となれたことを、いまでもとても誇りに思っています。
この章の登場人物
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- Zack Hicks(ザック・ヒックス)
- 北米トヨタ自動車(TMNA)EVP/Chief Digital Officer兼Toyota Connected North America (TCNA)CEO
- 北米トヨタの出張手配を担当していたコールセンターからの叩き上げ。北米トヨタ入社後は情報システム領域で実績を残し、2012年からCIO。以降、グローバルCIOの友山と2人3脚でトヨタの情報システム改革を進めながら、友山と国・カルチャーを超えた信頼関係を構築。2016年、TCNAの設立からCEOとなる。端正な顔立ちとは対照的に、ビジネスではシャープ(ナイフのような)判断を下し、北米トヨタでは強面系、と恐れられていた時期もある。立場と共に円熟味を増したシャープナイフはいつしか「カリスマ」と呼ばれ、2019年には北米CIOマガジンの選ぶ「CIO殿堂」にも選出された。