第1章 ガズーメディアサービスの誕生
トヨタの中ではできないことをトヨタの外でやる
2000年10月6日、トヨタと富士通株式会社、富士通サポートアンドサービス株式会社(現在の富士通エフサス/以下、FSAS)の出資でガズーメディアサービス株式会社が設立された。初代社長にはトヨタの取締役だった豊田章男が就任。豊田にとって初めての社長就任であり、自ら創業した初めての会社だった。その設立の経緯と同社が目指したこと。そして、創業してすぐに訪れた経営危機について振り返る。
インターネット(IT)によって顧客との接点を構築
2000年1月1日、トヨタの業務改善支援室から始まった社内ITベンチャーはGAZOO事業部として独立し、顧客向けインターネット事業を本格的に展開する事業部として新たな航海に漕ぎ出した。
本題に入る前に、まずはこの時代(2000年前後)がどんな時代だったかを振り返ってみる。95年、ウィンドウズ95の登場によって、パソコンがパーソナルなものになり、次々にインターネットに接続する端末が増えていた。しかし、通信形式はモデムによる接続が主流であり、やっとISDNへの移行が始まったばかり。インターネットの人口当たりの利用率は98年にやっと10%を突破。その後、2000年から急速に利用率は伸びたものの99年の段階ではまだ21・4%にとどまっていた(『通信利用動向調査』総務省・2020年)。インターネットは、まだまだ一部のエンジニアと大学の学術研究者、そしてオタクが利用していただけであり、黎明期から普及期に移行する過程にあった。
99年に携帯電話でiモードのサービスが開始されたが、スマートフォンなんて、もちろんない。また、当時の検索エンジンといえば、主流はインフォシークやエキサイト、ヤフーであり、グーグルはまだ台頭してきていない。
世の中には「自動車メーカーがインターネットなんて手を出してうまくいくはずがない」「インターネットでクルマが売れるはずはない。馬鹿げている」「夢物語だ」と冷ややかな声が少なからずあった。「批判的な意見の人たちは過去の成功体験に基づいて意見を述べているだけ。過去の成功に捉われていると、時代の変化が見えなくなり、あっという間に時代に取り残されてしまう。我々はインターネットが時流だから、それに手を出すのではない。トヨタと販売店、お客様をジャストインタイムにつなぎたい、それに必要だからこの分野に進出する」と、事業部長の友山はメンバーに説いていた。すべては「インターネット(IT)によって顧客との接点を構築する」ためであり、「インターネット(IT)と自動車事業が融合する時代が必ず来る」という豊田の言葉に、友山を含めた全メンバーが確信を持っていた。
24時間365日、いつでもトヨタ
GAZOO商店街は一般のECサイトと同じように、日用品からカー用品、プラモデルなど多種多様なものを販売していた。しかし、GAZOO商店街はその目的・狙い・役割において、それらとは根本的な違いがあった。
通常のECサイトが顧客の拡大、消費者の囲い込みと最終的な収益の最大化に重点を置いていたのに対し、GAZOO商店街の目的・狙い・役割を一言でいうと「お客様との接点の拡大とその頻度の最大化」である。「24時間365日、いつでもトヨタ」。GAZOO事業部はそんなフレーズをよく口にしていた。
当時、新車の買い換えサイクルは約7年。この年数はますます長期化する傾向が見えていた。トヨタの新車を購入いただいたお客様が次にクルマを買い換える7年後まで、この期間を埋めなければトヨタはお客様を失う可能性がある。3年後、5年後の車検だけでは不十分。販売店やトヨタの国内営業部門でもこの課題に対して、保険や定期メンテナンスの強化などさまざまな施策を打ち出していたが十分ではなかった。事実、車検や自動車保険の分野では顧客の流出は後を絶たず、サードパーティの格安車検や通販型の自動車保険に顧客を奪われていた。さらに、それに追い打ちをかけるように「若者の自動車離れ」が声高に叫ばれていた。トヨタの最大の敵は携帯電話キャリアだ!若者の欲しいもののナンバーワンは自動車から携帯電話へ。かつて若者が自動車ローンに費やしていたお金はすでに携帯電話の月々の支払いに消えていたのだ。
こうした大きな流れの中で、GAZOO事業部が解を求めたのが、インターネットを使ったお客様との接点拡大であり、コンタクトの質・量の最大化である。同時に「将来の自動車ビジネスにおいても、必ずインターネット決済が必要になる。いま、その経験とノウハウを積んでおかねばならない」と考えて、GAZOO商店街を開設したのであった。
コンビニに接点を求める
一方で、GAZOO事業部は、店頭に置かれたGAZOO端末やG-Towerの可能性を捨てたわけではない。それらの端末を進化させ、さまざまな商材やサービスを扱えるマルチメディアキオスク端末、「e-Tower」を試作していた。それが、大手のコンビニチェーンに注目されたのを機に、豊田と友山は、コンビニ店舗にお客様との接点を作れないか?と考え始めていた。
トヨタの販売店の国内店舗数は約6500店舗。それに対してコンビニ業界最大手のS社で8000店舗。店舗数で劣っているだけでなく、さらにこれに来店頻度を掛け合わせると、トヨタの販売店とコンビニの店舗では圧倒的な差が開く。コンビニは毎日、また1日に数度訪問することも珍しくはないが、トヨタの販売店の場合は良くて年1回の点検入庫での来店。新車への買い換えなら7年に1回である。これはもう、比較にならない。さらに、コンビニは日常の生活圏の中にあって、物流と決済能力にも長けている。この強みにいち早く着目した公共料金の収納代行は、当時、飛躍的に取扱数を増加させていた。
コンビニの特性を生かし、個人向けのEコマースのインフラとしてコンビニ店舗を活用しようとする動きは2000年に入って一気に加速。コンビニ最大手S社が大手IT企業や電機メーカー、総合商社、大手旅行会社など8社で個人向けEコマースサービスを提供する新会社を設立した。業界2位のL社もすでに店舗に設置していたマルチメディア情報端末をインターネットに接続してEコマースサービスを提供する構想を発表した。
そんな折、GAZOO事業部にコンビニ業界の3位以下の5社で作る協議会から、各店舗に設置するマルチメディア端末に、GAZOO事業部が開発したe-Towerを採用したいという打診があった。
「コンビニに顧客との接点が構築できる」。業界3位以下とはいえ、5社を合わせると店舗数はゆうに1万2000店舗を超える。これはS社を抜いてナンバーワンの店舗数になる。突然舞い込んできたこの依頼はGAZOO事業部にとって、願ってもない話であった。
2000年4月、このコンビニ5社がEコマース分野で協業を図る新会社が設立され、e-Towerをベースに機能アップした次世代コンビニ端末を、トヨタが製造し新会社を通じて5社のコンビニ全店舗に提供するプロジェクトが、検討され始めた。
取締役5名、従業員24名での船出
しかし、ことはそう簡単には進まなかった。独立した事業部といっても、人事や予算などで独自の権限が委譲されているわけではなく、実はいろいろな縛りがあって、自由度はそれほどなかった。
この時の細かいやり取りは割愛するが、端的にいえば「そんな情報端末を開発して販売するビジネスはトヨタの事業ではない」「どうしてもやりたいというなら外でやりなさい」ということになった。
当時、トヨタの取締役に就任したばかりの豊田章男は、GAZOO事業部をトヨタからスピンオフさせることを決意した。すでにトヨタ社内に窮屈さを感じていた豊田と友山にとっては、外でやれ、というのは渡りに船。むしろ、自分たちの城となる会社を設立することにワクワクしていた。
こうして、2000年10月6日にトヨタ、富士通、FSASの3社の出資で、ガズーメディアサービスが設立された。初代社長には豊田が就任し、副社長には友山が就任した。
トヨタの各部門から通信やシステム、デバイスなどに長けた人材が集められ、富士通、FSASからも取締役やスタッフとして出向者が集まってきた。これに派遣社員2名が加わり、取締役5名と従業員24名で、新会社はスタートした。
創業の原点e-Tower
ガズーメディアサービスの最初の仕事は、トヨタのGAZOO事業部が試作したe-Towerを、コンビニチェーン向けの商品として完成させ、量産し、コンビニ店舗に設置、その運用・保守サービスも請け負うことだった。
マルチデバイスのスロットを有する筐体に、富士通製のWindowsパソコンを内蔵し、ソニー製の音楽MD装置、写真印刷用の高性能プリンターなどを内蔵。コンサートチケットの予約・購入、MDへの音楽ダウンロード、デジカメ写真やブロマイドの印刷ができた。
e-Towerの数あるサービス中で爆発的にヒットしたのが格安国際電話プリペイドサービス。特別大口割引の適用で大幅に安く国際電話が利用できる。インターネット電話と違い、通常の国際電話回線での通話なので高品質とあって、日本で暮らす外国人労働者の間に口コミで広がり、大ヒットとなった。e-Towerで利用手続きをおこない、バーコードを出力して、レジで支払いをおこなうと携帯電話から格安通話が利用できた。
こういったサービスはパソコンでも利用できたがそんなものはほとんど誰も持っていない時代。e-Towerは街の公衆電話ならぬ公衆パソコンであり、インターネットにつながる接点だったのだ。
もちろん、トヨタのお客様との接点として、新車カタログの請求や中古車の検索・試乗予約、さらには、GAZOOの人気コンテンツ「がずぺっと」の育成もできた。
顧客との接点を日本全国1万2000店舗のコンビニに拡大する。e-Towerはそんなガズーメディアサービスの野望と、新たなIT事業への期待を背負ってスタートしたが、その船出は順風満帆というには程遠く、波乱の幕開けとなった。