トヨタコネクティッド20周年企画連載 虹を架ける仲間達

第5章 モビリティサービスの展開

この指とまれ!

カーレースでいえば、ゴール手前の最終コーナーでさまざまな壁にぶち当たり、もがき、苦しみながらも逆境をバネにして、クラウド化によるTSCを構築し、テレマティクスからコネクティッドへの進化、さらに念願の北米進出、TCNAの設立を果たす。そして、その結果、「メディアサービス」という『サービス』を提供する会社から、人とクルマと社会をつなぐ「コネクティッド企業」として、ソフトウエア開発・エンジニアリング会社へと自らを変化させたトヨタコネクティッド。見事に難所のコーナーを曲がりきり、最後はメインスタンドの大声援に応え、「モビリティ・サービス・プラットフォーマー」というゴールに向かってひたすら加速していくのである。

コネクティッドカーの誕生

2018年6月26日。この日、東京・お台場の「メガウェブ」では、メディア関係者だけでなく一般公募で選ばれたスタートアップ企業の代表者や学生なども会場に招き入れ、これまでに実施したことのない形態で新型車の発表会が行われていた。発表されたクルマは、新型クラウン、そしてニューモデルのカローラスポーツである。クラウンといえば、1955年に純国産技術による乗用車として初代が誕生。「いつかはクラウン」のキャッチフレーズで一世を風靡し、国民の憧れのクルマとして、数多くのユーザーに愛され続けてきた日本を代表する高級車である。そして、カローラは1966年に初代がデビュー。庶民でも購入できる大衆車として、時代を席巻。長年に渡り、国内販売台数第1位の座を守り続け、さらには2013年には世界累計生産台数4000万台を達成した世界的ベストセラー車である。いずれも、日本のモータリゼーションを牽引し、そして今日まで売れ続けているロングセラー・モデルであり、紛れもなくトヨタの顔、フラッグシップである。
その2つのフラッグシップの新車発表会が同時に開催されることも驚きであったが、さらに自動車関係者、報道関係者を驚かせたのは、その発表会のタイトルが「THE CONNECTED DAY〜つながれば、世界はもっと面白くなる。」だったことだ。それはまさしく、100年に1度と言われる自動車業界の大変革期の到来を象徴したタイトルであった。そしてステージには、変革を追い求め、共に激動の時代を果敢に走りつづけてきた2人が立つ。それは、トヨタ自動車社長の豊田と、トヨタ自動車副社長であり、トヨタコネクティッド社長の友山であった。
このイベントの参加者は皆、「いままさに、クルマの未来が大きく変わろうとしている」ことを再認識したはずである。なぜなら、新型クラウンとカローラスポーツは2020年に向けて、トヨタが全世界・全車種に展開していくコネクティッドカー(つながるクルマ)の先出しのクルマ、初代コネクティッドカーであった。
ここでいうコネクティッドカーとは、ただ単にDCMを標準搭載し、通信でセンターとつながっているクルマではない。もし、そういう意味であれば、2002年に初めてG-BOOKを搭載したWiLL CYPHAもコネクティッドカーになってしまう。ここでいうコネクティッドカーとは、DCMがクルマのCANとつながっていて、位置情報と走行距離だけでなく、バッテリーの残量やバッテリー使用時の電圧、エンジンオイルの量、ラジエーターの状況など車両のさまざまなデータ、さらにはドライバーのブレーキのかけ方、アクセルの踏み込み方など運転の仕方がセンターに集められ、また、それにより、センターが車両の異常発生を検知もしくは予知した場合はドライバーと販売店に通知し、故障やトラブルを未然に防ぐことができるクルマのことである。
そしてもう一つ大事なことは販売店を含めたサポート体制である。クルマから異常発生や警告の信号が上がってきたとき、それに対して販売店の担当スタッフがきちんと対応できて、遠隔で診断やアドバイスができる。必要があれば入庫を促す。そうしたことがしっかりできる。さらにはお客様からのさまざまなお問い合わせやSOSに対して、AIではなくオペレーターがきちんと応対する「ヒューマン・コネクティッド」。こうしたサポート体制が整備できているクルマをトヨタではコネクティッドカーと呼ぶ。ただ単に通信でつながっているだけではコネクティッドカーとはいえない。
トヨタは新型クラウンとカローラスポーツに、このコネクティッドサービスを標準装備とするため、営業部門を巻き込んで、血のにじむような改善努力を重ね、この日を迎えた。新車発表会から遡ること半年前、全国のトヨタ店、カローラ店の営業スタッフ、サービススタッフを日進の研修センターに集め、「コネクティッド道場」を主宰。営業に対してはコネクティッドカーのお客様への説明の方法から利用申込書の記入方法、DCMの開通方法、T-Connectのサービス開始手続き、ヘルプネットの利用開始操作、また、ヒューマン・コネクティッドの提供においてもっとも大切なお客様の連絡先となるサポートアドレスの登録方法などを一つひとつ丁寧に説明し、抜け漏れがないように徹底が図られた。一方、サービスに対しては車両の状態を遠隔診断する「eケア」の仕組みやサービスの内容、さらには異常があった場合の対処方法など標準作業のトレーニングを実施した。こうした道場の運営を見ても、コネクティッドカーに対するトヨタの本気度がうかがい知れた。

コネクティッド道場の様子
コネクティッド道場の様子

コネクティッド道場に集まった全国の販売店スタッフは、ロールプレイ形式でコネクティッドを基礎から学習。

このオペレーションはかつて中国の広州トヨタ(GTMC)で展開されたe-CRB導入大作戦を彷彿させた。しかもその規模はGTMCをさらに上回る史上最大の大作戦となった。最前線でこの指揮を担ったのが中国から帰国したばかりの松枝伸彰であった。そしてG-BOOKのコンテンツ提供会社の開拓で謝り侍を担った野田俊介をはじめ、トヨタコネクティッドの大勢のスタッフがサポートに当たった。また、サービスの方は九州の販売店で改善をおこなっていた吉岡輝が急遽、召集され陣頭に立ち指揮をとった。そして、GTMCのプロジェクトマネージャーで実績を残した石川渉が販売店教育に日々奔走したのだ。

走る・曲がる・止まる、そして「つながる」

オープニングのプレゼンテーションが始まった。
豊田がはじめに登壇し、自動車産業の進化変遷を、100年前に起きた米国でのモータリゼーションで、100万頭の馬がクルマに一気に入れ替わった事実を皮切りに、自動車メーカー・トヨタの進化の軌跡を紐解いて見せた。
「クルマはどんな時代でも夢を運ぶものでなくてはならない」。豊田は強い信念を観客に伝えつつ、走る・曲がる・止まるというクルマの基本性能に、「つながる」つまり、コネクティッドを追加することを高らかに宣言。そして、新型クラウンとニューモデル、カローラスポーツがアンベールされた。その瞬間、会場は大きな拍手喝采に包まれた。

THE CONNECTED DAYでの豊田のオープニングプレゼンテーション。
THE CONNECTED DAYでの豊田のオープニングプレゼンテーション。

この日のために、20年前、販売店の改善からスタートし、e-Towerの製造販売事業、G-BOOKの立ち上げ、e-CRBのグローバル展開、TSCの構築など、さまざまなプロジェクトを推し進めてきた友山をはじめ、会場やインターネット中継を見守るトヨタコネクティッドの面々は、心の中に熱く込み上げるものを感じていた。会場の拍手は、自分達へのエールのように聞こえていたのだ。20年間の活動を総括するのは早過ぎるが、「カスタマーインへの挑戦」を続けてきたその意味が、視えるカタチとなってトヨタのフラッグシップ2車種を皮切りに、「コネクティッドサービス」として結実したのだ。
豊田からバトンを引き継ぎ、友山は高鳴る思いを胸に秘め、そのステージに立った。はじめに友山は、ル・マンに参戦しているレーシングカーTS050ハイブリッドに試乗した時の体験を、ユーモアを交えて披露した。通常、レーシングカーを運転するということは特別な訓練を受けていない素人には無理がある。複雑でたくさん設置されている計器類をチェックしながら、瞬時に次から次へと判断をしていく必要がある。案の定、友山はスタート直後に頭の中が真っ白になり、パニックに陥る。しかし、そんな時、無線から「ピットモードを解除してください」というコントロールセンターからの指令が聞こえてきた。これで友山は正気を取り戻し、無事、試乗を終えることができた。それができたのも、ひとえにレーシングカーが通信でコントロールセンターとつながっていたので、センターが車両の状態を遠隔からリアルタイムにモニターしつつ、適時、サポートしてくれていたからであった。さらに、周回2周目からは、なんと1周目の走行データを解析し、車両の制御ソフトを友山の運転に合わせて、更新してくれた。それによって、より快適にレーシングカーのドライブを楽しむことさえできたという。
クルマがつながることによって、どんなことが出来るのかということを、レーシングカーを例にわかりやすく伝えたのである。もちろん、現在の日本の法規では車両の制御ソフトをオンラインで書き換えることはできない。しかし、友山が受けたようなさまざまなドライブサポート、ブレーキングやアクセルワークのサポートなどはすでに自動運転技術によって実現されている。コントロールセンターからの無線の指令は「ヒューマン・コネクティッド」そのものである。そして、コネクティッドの最先端技術はレースという過酷な極限状態の中で磨かれ進化していくのである。観客たちは、友山が発する、生き生きと躍動するプレゼンテーションに夢中になって耳を傾け続けた。

コネクティッドと究極のジャストインタイム

また、コネクティッドとTPS(トヨタ生産方式)というテーマにもプレゼンの中で友山は言及する。コネクティッド戦略におけるTPS(トヨタ生産方式)が果たす役割について説明したのだ。
以下はそのプレゼンテーションの一節である。
「そもそも、トヨタには、トヨタ生産方式に由来する、ジャストインタイムという、創業者喜一郎から代々引き継がれてきた不変的な経営哲学があります。ジャストインタイムとは、すなわち、『後工程の必要なものを、必要なときに、必要なだけ造る、または、運ぶこと』です。ここで、後工程の最終地点は、工場のラインオフではなく、一人ひとりのお客様であります。お客様の価値観が、『もの』から『こと』へと拡がる中、ジャストインタイムは、よりダイレクトに、かつ、リアルタイムに、お客様とつながることを求めています。いい換えれば、クルマとメーカー、販売店を、一本の流れでつなぐことが、これからのジャストインタイムには不可欠なのです。そして、それを担うのが、まさに『コネクティッド』なのであります。クルマに搭載されたDCMで、24時間365日、お客様のお車につながっているからこそ、可能となるジャストインタイムサービスがあり、お届けできる『安心』があります。ただし、それは、単に、クルマを情報ネットワークにつなげば可能となる、というわけではありません。情報のスピードが速くなればなるほど、サービスに要するリードタイムも短くしなければならないし、心を通わせる『おもてなし』が必要となります。これには、継続的な業務改善が必要ですし、それに携わる人間の訓練も必要です」。

友山はコネクティッドサービスの概要とその重要性を伝えた。
友山はコネクティッドサービスの概要とその重要性を伝えた。

「DCM(専用通信機)によって、トヨタは24時間365日、お客様とダイレクトにつながることができる。これによって、お客様に安心・安全、そして便利で快適なサービスを提供できます。しかし、何よりも重要なことはメーカーとお客様が直接つながる接点だということです」とトヨタの副社長として、また、トヨタコネクティッドの社長として、「THE CONNECTED DAY」のプレゼンターを務めた友山茂樹は語った。そして、「今後、全世界でトヨタは発売するクルマのすべてにDCMが標準搭載される」ことを伝えた。
そして、ゲストプレゼンターとして登壇したトヨタの社長・豊田章男は「クラウンとカローラはトヨタにとって特別なクルマです。その2つのクルマにコネクティッド技術を搭載するということは、トヨタが本気でコネクティッドカーの普及に取り組むということです。コネクティッドカーはメーカーとお客様のダイレクトな接点になります。その接点を通じて、お客様と真摯に向き合い、寄り添うことで、これまでにない新しいサービスが生まれる。トヨタは新しいモビリティの未来を創造します」と力強く語り、「私は、トヨタを『自動車をつくる会社』から『モビリティカンパニー』へとモデルチェンジすることを決断しました」と宣言した。この瞬間、会場のボルテージは最高潮に達した。

モビリティカンパニー宣言

この時代(いま現在も含む)、自動車業界は「C(コネクティッド)」「A(自動運転)」「S(シェアリング)」そして「E(電動化)」の頭文字からなる「CASE(ケース)」というキーワードで語られる大変革期を迎えていた。これらの技術が急速に進化し、グーグル、アマゾン、アップル、ウーバーなどの異業種を巻き込んだ新たな協調と競争のフェーズに突入していたのだ。
年間世界販売台数が1000万台を超えるトヨタといえども、この変革期の舵取りを誤ると、たちまちIT企業の下請け、部品メーカーの一つになってしまうという危機感が社内にあった。しかも、こうした外部環境はこれまでにないスピードと大きさで変化しており、もはや一刻の猶予も許されない状況だったのだ。自動車メーカー各社は、時代の変化をいち早く察知し、お客様と真摯に向き合い、外部の英知も取り込んでいくために、これまでの成功体験にとらわれない、経営や組織のモデルチェンジが急務になっていた。
こうした時代を生き抜くため、トヨタは次々と新しい戦略を打ち出してきた。EVやPHV、HVなどの電動車の長期計画をいち早く発表。自動運転技術の研究開発を担う戦略企業としてToyota Research Institute-Advanced Development(TRI-AD)をコネクティッドやビッグデータの分野の戦略会社としてTCNAを設立。2016年11月には「全車のコネクティッド化」「ビッグデータの活用による新価値創造とビジネス変革」「新たなモビリティサービスの創出」を3本の矢とする「トヨタコネクティッド戦略」を記者発表。そして、その実現に向けて米国のカーシェア会社「ゲットアラウンド(Getaround)」やライドシェアの「ウーバー」「Grab」など異業種との連携を次々と発表していた。また、2018年1月には毎年、ラスベガスで開催されている世界最大規模のエレクトロニクス見本市CES(コンシューマー・エレクトリック・ショー)で、移動、物流、物販など多目的に活用できるモビリティ・サービス・プラットフォーム(MSPF)とその専用次世代電気自動車「イーパレット(e-Palette)」のコンセプトカーを公開していた。そして、時期的には「THE CONNECTED DAY」のイベントが終わった後になるが、2020年の「CES 2020」において、静岡県裾野市に「ウーブン・シティ(Woven City)」と呼ばれる実験都市を開発するプロジェクト「コネクティッド・シティ(Connected City)」を発表している。
こうした一連のトヨタの新戦略の数々は一見すると、相互関係や連携がないバラバラの戦略に思えるかもしれない。しかし、実は根っこの部分で互いが密接に連携している、トヨタが生き残りをかけた次世代戦略であった。そして、その根幹となる最も重要な戦略が「コネクティッド(お客様や社会との接点の拡大)」なのだ。「コネクティッド戦略」はトヨタの数々の新戦略をつなぐ(コネクティッド)戦略でもあり、トヨタが、モビリティカンパニーへ変革する布石となるものであった。そして、それは、トヨタコネクティッドの「モビリティ・サービス・プラットフォーマー」としての新たな成長戦略にもつながっていくのである。

豊田の「この指とまれ!」の掛け声に日本中が呼応した

モビリティカンパニーとは、「移動に関わるあらゆるサービスを提供する会社」である。つまり、トヨタは製造業の枠を飛び出し、サービス業にまでそのドメインを拡大するというのだ。
しかし、それはトヨタの1社だけでは到底できないことである。また、たとえ、自前の創意工夫によって変革を目指し、素晴らしいサービスやプロダクトを創り出したとしても、それが普及しなければ意味がない。その理由を説明するのに、1980年代のVHS vs ベータのビデオの規格戦争や90年代のパソコンOSを巡るWindows vs Macの競争の事例を持ち出すまでもない。いかに優れたサービス、プロダクト、規格、ソフトウエアであってもグローバル・スタンダードにならなければ意味がないのである。
グローバル・スタンダードを獲得するために何が必要なのか。その答えはシンプルだ。すなわち「仲間づくり」である。そして、それを実現するために、「トヨタは変わらなければいけない」と豊田は考えていた。
「スピード&オープン」そして「前例踏襲ではなく前例無視」。「人材の同質性ではなく、多様性の重視」。さまざまなバックグランドを持つ多様な人材に活躍の場を与え、企業文化や企業規模が異なる会社とも上手に付き合っていく。モビリティカンパニーになるためには、こうした経営のモデルチェンジが必要になる。豊田はプレゼンの中で強くそれを訴えた。
今回の「THE CONNECTED DAY」のイベントは、お台場メガウェブのライドスタジオをメイン会場とし、全国7会場を中継で結んで同時開催された。さらには全国のトヨタ販売店の特設会場(120社)やインターネットでもイベントの様子がリアルタイムで配信された。そして、メイン会場には販売店など自動車関係者、報道関係者に混じって、多くの若きベンチャー起業家が招待されていた。さらには自宅やオフィスのパソコンやスマートフォンの前にも、このインターネット中継をワクワクしながら視聴していた数多くのベンチャー経営者がいた。
そんな彼らに向かって豊田が呼びかけた。「ベンチャー精神を持つ仲間が集う場をつくりたい。みんなでいっしょに未来のモビリティを創っていきましょう!」。
トヨタの社長からの直接の呼びかけである。それは会場の誰しもが、パソコンの前の誰しもが、まったく予想していなかった大きな驚きのラブコールであった。この時、全員が一斉に「よし、やってみよう!」「何かいっしょにできることがないか考えて提案しよう!」と胸を高鳴らせた。
この呼びかけの前のプログラムでは、豊田と友山によるトークショーがおこなわれた。その中では、20年以上前に豊田が友山たちといっしょに立ち上げた業務改善支援室、その後に設立したガズーメディアサービス(現在のトヨタコネクティッド)とそれぞれの時代に、実際に起こったさまざまなエピソードが紹介された。「会社から予算がもらえなくてハイスペックのパソコンが購入できない。仕方なく自腹で安い部品を買ってきて、友山の自宅に集まってわいわいやりながら、低価格でハイスペックなパソコンを完成させた」「設立当初は『工場の生産システムが販売の現場で役に立つわけがない』『画像でクルマが売れるものか!』と関連部署から相手にしてもらえなかった」「新会社を設立してすぐに、大型受注があったが、その後、大量のキャンセルが出て、たちまち資金繰りが悪化し、経営危機に陥った」。いずれも本書の中で紹介してきたエピソードである。知恵と汗と根性、人海戦術、最後は大部屋!でピンチを切り抜けてきた話である。そんな昔話がユーモアを交えて、生き生きと語られた。
そして、苦しかった時代のことを楽しそうに振り返る豊田と友山の姿をみて、会場やパソコンの前にいた若き起業家たちは一様に「ああ、この二人も、昔はいまの自分たちと同じベンチャーだったのだ」と親近感をいだいた。特に、豊田が語った「ガズーメディアサービスがまだ社員数名の小さな会社だった時代、営業に訪問した会社で自分たちの企画を提案した時、商談相手から『面白いね!一緒にやりましょう』といっていただいたときの、あの嬉しかった気持ちは、いまでも忘れられない」というコメントには、誰もが心を奪われ、魅了された。「この人たちといっしょに仕事がしたい」と何か熱く、込み上げてくるようなものがあった人は少なくないはずだ。
なぜ、豊田と友山はイベントの全プログラムの半分以上の時間を割いて、こうした自分たちの昔話を紹介したのだろうか?そこには2人の大きな狙いがあった。それはモビリティカンパニーになった新生トヨタのカルチャーにつながる、豊田と友山がこれまで大切に守り、育ててきた自分たちの改善カルチャーをわかりやすく、印象的に伝えたかったのである。カルチャーが人を集め、カルチャーが新しい価値を創造する。だからこそ、豊田や友山は自分たちのカルチャーを、会場やパソコンの前で見ている多くの企業家たちに伝え、理解し、共感してほしかったのである。自分たちと同じ価値観を持ち、カルチャーを共有できる人たちとつながりたかったのである。
イベントの最後に、豊田は右手の人差し指を高々と掲げ、一際甲高い声でこう呼びかけた。「この指、とまれ!」。この瞬間、誰もが思わず、この指に飛びついた。

お客様につながる=寄り添うということ

話をいま一度、コネクティッドカーに戻す。コネクティッドカーのプレゼンテーションやトークショーにおいて、豊田と友山は「お客様との接点」という単語を何度も繰り返し使った。そして、「コネクティッドカーはメーカーとお客様が直接つながる接点であり、それを通じて、トヨタはお客様と向き合い、寄り添うことができる」と説明した。ここで大切なことは「直接つながる」ということである。
では、なぜ豊田と友山は「直接つながる」ことにだわるのか?もし、お客様の声を聞き、吸い上げるのであれば、アンケートやインタビューなど様々な手段があり、トヨタが調査会社に依頼すれば、たちどころに分厚いレポートが上がってくるはずである。しかし、そうした統計処理された数値やレビューではお客様の本当の気持ち、ニーズはわからない。豊田や友山はそう考えていたのである。
本書をここまで読み進めていただいた読者であれば、すでに釈迦に説法かもしれないが、いま一度、復習の意味を込めて、2人はなぜ、「直接つながる」ことが重要と考えていたのかの理由を説明させていただく。
まず、この理由を正しく読み解くためには、TPS(トヨタ生産方式)でいう「現地現物」という用語を理解する必要がある。現地現物とは「現地に行って、現物を確認し、現場で何が起こっているのかを自分の目で見て、判断する。それによって、先入観や思い込み、記憶違いなどによる錯誤を排除し、正確な現状把握と判断をおこなう」というトヨタ生産方式の基本姿勢のことである。
いま仮に、お客様アンケートの中に「駐車中のクルマに異常が発生した時、メールでお知らせする機能があったらいいと思いますか?」という質問があったとしよう。きっと、ほとんどのお客様は「まあ、あればあったでありがたいかも?」くらいの気持ちでマルをつけるはずだ。その時、お客様が想定している「駐車中のクルマに異常が発生」というのは、「クルマが盗難にあう」くらいが精いっぱいであろう。よもや「台風の大雨で1階に駐車していたクルマが浸水。それによってアラームが発信され、異常を通知するメールが届く。そのメールで初めて、洪水が発生して自宅の1階が浸水していることに気づき、一家全員、無事、避難できた」なんてことが起こるとはなかなか普通の人には想像できないはずだ。しかし、この浸水事件は実際に起きた事例である。この被害にあったお客様の気持ちは「あれば、あったでありがたいかも?」なんてものではない。「あって良かった!助かった。ありがとう」と感謝に溢れていた。そして、このクルマのお客様は「これからもずっと一生、コネクティッドカーに乗り続ける」とおっしゃっていた。友山は会場の観客に向かって、そんな事例を紹介した。
そんな例はまだまだある。「自動車事故で重傷を負い、意識を失った。しかし、ヘルプネットによってクルマが事故発生を自動的に緊急通報し、九死に一生を得た」「運転中、持病の発作が起きた。ヘルプネットボタンを自分で押して救急車を呼び、助かった」。実際にこうした九死に一生の経験をした人たちの気持ちは、アンケートで「ヘルプネットのような緊急通報装置があるといいと思いますか?」という問いに、一般の人がマルする時とは、明らかに違う。もし、経験者であれば、きっと、塗りつぶしてしまうくらい、何重にもマルをつけてしまうことだろう。
つまり、こうしたお客様の本当の気持ち、ニーズというのは、それが実際に起こった時でしか、お客様自身もわからない。アンケートや会議室でのインタビューはお客様の本当の気持ちや正しいニーズを反映しない。本当のことは、それが起こった時、実際に起こったコト、モノを前にして、質問しなければわからないのである。つまり、現地現物である。
豊田が会場で説明した「お客様と向き合い、寄り添う」とはそういう意味であり、24時間365日お客様とつながっているコネクティッドカーによって、「本当のお客様の気持ちを知る」ことが実現できるのである。さらには、こうして集められたお客様の本当の声が、自動運転車や次世代のクルマの開発にフィードバックされ、技術が正しい方向に進化していくのである。

20年以上も続く、限りなくカスタマーインへの挑戦

「THE CONNECTED DAY」の会場でこの話を聞いたとき、すぐに脳裏に浮かぶのは、やはり、「鶏そぼろ弁当と幕の内弁当」の話だ。またしてもこの話が出てくる。これについてはもう、説明の必要はないだろう。これは画像情報システムGAZOOの開発のきっかけとなった有名なエピソードである。そして、この気づきから「お客様の本当の気持ち、ニーズを正しく把握するためにはどうしたらいいんだ?」と考えるようになり、そこから「お客様との直接の接点」の探求が始まった。
それ以来、ずっと一貫して、豊田と友山のテーマは、お客様との直接の接点の探求であり、その構築であった。そして、それはいまも続いている。「改善後は改善前。改善活動に終わりはない」のだから。それはいい換えれば「限りなくカスタマーインへの挑戦」である。
記録によれば、1995年2月26日に、豊田は、米国留学中にビジネススクールの先輩だった阿部修平氏(スパークス・グループ代表)の紹介で、当時、マイクロソフト日本法人の社長だった成毛眞氏と初めて会っている。そしてその時、「鶏そぼろ弁当と幕の内弁当」の話をしている。ということは豊田がこのことに気がついたのはさらにその前のこと。もしかしたら、豊田と友山が生産調査室で一緒に仕事をしていた時代からかもしれない。つまり、この「THE CONNECTED DAY」が開催される少なくとも23年以上前から、ずっとこの話を繰り返し続けてきたのだ。そして、ずっと「お客様との接点」を求め続けてきたのだった。
さらに、最初の頃、豊田が知りたいと考えていたのは「お客様が本当に欲しいクルマは?」に代表されるお客様のニーズであった。しかし、コネクティッドの時代を迎え、DCMから集まってくる走行データからは「お客様はどんな時にどんな風にブレーキをかけるのか?」「コーナーでのアクセルワークは?」などクルマの運転の仕方に関わることまで知ることができるようになった。また、さらに分析をしていけば「どういう運転を続ければ、クルマはどうなるのか?故障はどんなタイミングで起きるのか?」などもわかってくる。それらはメーカーにフィードバックされ、「もっと安心・安全に運転できるクルマ」「もっといいクルマ」作りに生かされるのである。
23年以上前となると豊田の役職は課長職。友山は係長であった。その3年後、豊田と友山は、ガズーメディアサービスを設立し、豊田はその社長、友山は副社長を兼務し、志を同じくする仲間たちと同じ虹を追いかけ始める。そして、この日、豊田はトヨタの社長として、友山はトヨタの副社長として登壇していた。「長い道のりだったけど、これまでいろいろなことがあったけど、やっとここまでこれた。勝負はこれからだ!」「インターネットと自動車事業が融合する時代が必ず来ると予見し、信じてここまでやってきた。そしていま、それが現実となった。これからは本当にやりたかった勝負ができる」。冒頭のカーレースの例えで表現するならば、このイベントでの豊田と友山の誇らしく自信に溢れた発言や姿は、まるでレースの後のウイニングランをしているようにも見えた。もちろん、2人にそんな不遜な気持ちは微塵もなかった。しかもまだ、レースは続いている。しかし、この日の「THE CONNECTED DAY」のイベントが2人にとって、彼らの終わりない長くタフでハードな挑戦の歴史において、一つのマイルストーンになったことは間違いない。
また、これは後日談になるがこの日発表された新型クラウンとカローラスポーツはよく売れた。特に、クラウンは「コネクティッド・クラウン」と呼ばれ、コネクティッドが実現する便利で快適、そして安心・安全なカーライフがレクサスと同様に高く評価され、爆発的なヒットとなったのであった。

著者プロフィール

  • 宮崎 秀敏(みやざき ひでとし)
    ネクスト・ワン代表取締役
    1962年、広島生まれ。1997年リクルートを退職後、ひょんな縁で業務改善支援室の活動に帯同。
    98年、同室の活動をまとめた書籍『ネクスト・ワン』(非売品)を上梓。会員誌の制作やコミュニティの運営などでGAZOO、G-BOOK、e-CRB、GAZOO Mura、GAZOO Racingなどの立ち上げに協力しながら取材活動を継続。