トヨタコネクティッド20周年企画連載 虹を架ける仲間達

第3章 e-CRBと海外展開

海を渡り拡大した、虹を架ける仲間達

e-Towerではコンビニなど街中にお客様との接点を作った。G-BOOKではお客様のクルマの中に接点を作った。そして、次に始まったのは、クルマを販売・納車し、メンテナンス・サービスを提供する販売店の中に強固な接点を作る挑戦である。もっとも、お客様との接点はすでに販売店の営業やサービスの中にたくさんある。今回の挑戦はそれら既存の接点の周辺にあるオペレーションをTPS(トヨタ生産方式)で改善し、ITで統合・管理して、エクスクルーシブで洗練されたサービス体験を提供、お客様と持続的な信頼関係を構築することにある。それがe-CRB(evolutionally Customer Relationship Building)である。もちろんその取り組みはただ単に最新のCRMシステムを導入することにとどまらない。それを一言でいえば、自動車ビジネスの変革。TPSの改善とITを駆使した、限りなくカスタマーインへの挑戦だった。そして、その舞台はタイと中国から始まり、デジタルメディアサービスの海外進出へとつながったのである。

バンコクでe-CRBを記者発表

2004年3月22日。バンコク。
タイの3月後半から4月にかけては真夏。一年で一番暑い季節である。雨は一滴も降らない。この日も気温は40℃近くにまで上昇した。
タイで国際会議や見本市などが開催されるシリキット王妃国際会議場はバンコク市内の中心部にある。この日、ここには現地の報道陣がたくさん集まっていた。その中には日本の主要新聞各社や自動車関連専門誌の記者たちの姿があった。
彼らのお目当てはトヨタのアジア本部長にして、前年2003年に専務取締役に昇格した豊田章男であった。「タイでGAZOO事業を始めるらしいよ」「販売店の改善活動も同時にやるらしい…」。会場のあちこちから、そんな記者たちの会話が漏れ聞こえていた。
「It is my pleasure to announce today an innovative new project which will be started for the first time overseas and centered here in Thailand.(ここタイを中心に海外で初めてスタートする革新的なプロジェクトを本日、発表できることをとても嬉しく思います)」
記者発表の冒頭に登壇した豊田はそう切り出した後、会員制WEBサイト「e-TOYOTACLUB」と販売店のオペレーションシステム「i-CROP」からなるe-CRBのコンセプトを披露。さらにはこのコンセプトを披露するのは今日が初めてであり、世界で最初にタイで発表したこと、そして、タイのマーケットがいかにトヨタにとって重要であるか、ITリテラシーの高い若者が多いタイの可能性について説明した。発表はすべて英語だった。

単なる「満足」にとどまらない「感動」の体験を提供

e-CRBの基本コンセプトは「高度に改善され情報化されたディーラーオペレーションを通じて、お客様満足を最大化すること。エクスクルーシブで洗練されたオペレーションによる『感動』の体験がカスタマー・ロイヤリティを高め、お客様と販売店の間に、強固で持続的な信頼関係を築く」である。つまりCS(お客様満足)の向上にとどまらず、『感動』の体験をクルマ選び、来店、商談、購入、納車、点検、整備、買い替えといった販売店の中のさまざまなお客様との接点において提供し、その結果、「クルマを買うならトヨタ。安心できる。接客が気持ちいい。販売店に足を運ぶのが楽しくなる。アメージング(素晴らしい)」と感じていただき、トヨタと販売店、そしてお客様の間が強い信頼の絆で結ばれることを目指した。
お客様に感動体験を提供するベースにある思想がジャストインタイムであり、それを実現するための道具として会員制WEBサイト「e-TOYOTACLUB」と統合的顧客管理システムである「i-CROP」を開発。さらに「i-CROP」に基づいた入庫誘致、点検・整備など現場を管理するシステムとして、「i-CMS」、「SMB」などのサブシステムを次々と開発していった。
そして、最終的に感動体験を提供するのは「人(ヒト)」である。システムはそのための道具に過ぎない。販売店の現場を現地現物で改善し、工程を見える化するとともに、作業のムリ、ムダを排除。お客様にきちんと納期を約束できる正確でスピーディーな点検作業ができるようにするなど、そこに至るまでのさまざまな試行錯誤や改善の積み重ねが必要だった。
こうしたWEB開発、オペレーションシステムの開発、業務改善を経て、晴れて世界で初めてのe-CRB記者発表の日を迎えた。ここに至るまでにはさまざまなドラマやエピソードがあった。まずはそれを振り返ってみたい。

e-CRBの起動セレモニー
記者発表の席上、e-CRBの起動セレモニーがおこなわれた。そして、バンコクモーターショーの開催に合わせて、e-CRBは2004年3月26日から正式稼働した。

e-CRBが始まるきっかけ

2002年8月にG-BOOKの記者発表を終え、10月にWiLL CYPHAが発売。G-BOOKのサービスがスタートする。この頃から友山には「これまで業務改善支援室時代からやってきた販売店のオペレーション改善。そしてGAZOOやe-Tower、G-BOOKでのお客様との接点作り。こうした経験やノウハウは日本にとどまらず、海外でも使えるのではないか?」という思惑があった。そして、「自ら海外に身を置き、ビジネススクールで勉強しながらこれまでの経験を整理・体系化するともに、実務でその海外への展開を図りたい」と豊田に申し出た。

DMAPのスタッフ
タイでのe-CRBの展開をサポートするために3月6日に設立したばかりのデジタルメディアサービスの現地法人DMAPのメンバーが記者発表をサポートした。
バンコクモーターショー
2004年3月26日から4月4日まで開催されたバンコクモーターショーにはe-TOYOTACLUBのブースを出展。会員制WEBサイトe-TOYOTACLUBを実際に体験できたほか、タイ版のG-BOOKが参考出品された。

折しも、豊田は2001年6月にアジア本部長に就任。豊田の目線も急成長を続けるアジアの市場に向いていた。「それはいいことだ」と豊田は友山の志願を受け入れた。
こうして2003年4月から友山のToyota Motor Asia Pacific(TMAP)の出向が決まった。TMAPはシンガポールに拠点を置くアジア・パシフィック地域の統括会社であった。友山の当初の希望赴任地はアメリカだったが、豊田としては自分の目の届くアジアに友山を置いておきたかったのだろう。
友山は、当時、デジタルメディアサービスの副社長とトヨタのe-TOYOTA部長のダブルキャップだったが、デジタルメディアサービス副社長の職務はそのままに、e-TOYOTA部の部長のポストは後任を置かず、豊田が部長に就任した。これまた異例の人事である。そして、友山は主査としてe-TOYOTA部も兼務することになった。
そしてやるとなったら、豊田と友山の動きは早い。「いままで日本でやってきた販売店のオペレーション改善を中国でやろう」ということになり、2003年1月には友山が数名のスタッフとともに北京を訪問。すぐにプロジェクトC(中国プロジェクト)を立ち上げ、友山がシンガポールに赴任する前の2003年3月には、中国で販売業務を統括する会社として2001年に設立されていたToyota Motor (China) Investment(TMCI)とともに北京でプロジェクトCのキックオフ・ミーティングをおこなっている。
しかし、その時期、中国ではSARSが流行する。日本からの渡航が不可能となり、いったんプロジェクトCは中断となる。そして、「中国がダメなら、タイがあるぞ!」という豊田の指示に従って、すぐにタイでの展開を模索する。当時、トヨタはタイ国内で約19万台を販売。市場シェアは35%を超えていた。トヨタのタイ進出の歴史は古く、1957年に販売拠点を開設。1962年にはToyota Motor Thailand(TMT)を設立し現地生産を始めている。それゆえ、販売店網も整備されており、保有台数も多い。そして親日国でもある。中国とは違った意味で、新しい挑戦にはうってつけの市場であった。
友山たちは2003年4月にバンコクのTMTを訪問し、1回目の打ち合わせをしている。そして、その足で友山はシンガポールに向かい、TMAPに赴任した。

バンコクの高速道路の写真
当時からタイのタクシーのほとんどでカローラが採用されており、街中を走るクルマのほとんどがトヨタ車と思ってしまうくらい、当地でのトヨタ車のシェアは高かった。

M(Management)じゃなくてB(Building)だ!

前述した通り、豊田と友山が中国やタイでやろうとしていたことは、日本国内で長年取り組んできた販売店のオペレーション改善である。しかし、それを成長著しいアジアの各地で展開するにあたり、従来の改善マンの常駐支援やマニュアル・オペレーションなどによる一子相伝的な展開では人手や時間がかかりすぎて効率が悪い。豊田と友山が考えていたのは、海外展開を機に、従来のやり方を、ITを活用して進化させ、もっとスピーディーで同時多発的にアジアの各地で改善が進むやり方にすることだった。
そこでこれまで培ってきた改善ノウハウとTPS(トヨタ生産方式)を、ITを活用したCRMシステムに仕込み、各工程のオペレーション改善をパッケージ化した販売店のCRMプラットフォームのようなものを作ろうと考えたのだ。当初、友山はこのCRMシステムをe-CRMと命名した。
TMAPに赴任後は、仕事を終えるとビジネススクールに通い、英語とマーケティング、事業戦略論などを学んだ。そこで学習した理論をもとに、日本でおこなってきたオペレーション改善や、GAZOO、G-BOOKでやってきたお客様との接点作りの経験を整理し、体系化して、e-CRBの構想をカタチにしていった。
そして、e-CRBの企画ができたタイミングでTMAPの上席副社長のチティ(Richard L. Chitty)氏に企画を見せて相談に乗ってもらった。チティ氏はToyota Moter North America(TMNA)でレクサスを立ち上げた人物。ちょうどその時期、TMAPのサポートでアメリカからシンガポールにやってきていた。企画の説明を一通り聞き、理解したチティ氏は自らのレクサスでの経験をもとに、友山にアドバイスした。
「顧客とのリレーションはマネジメントするのではない。ビルドアップしていくものだ。そして、何よりもあなたがやろうとしているのは顧客と販売店、そしてトヨタの間に強固な信頼関係を構築(ビルディング)することじゃないのか?」。このアドバイスを受けて、友山は自分がやろうとしていることが一気に明確になった。「M(Management)じゃなくてB(Building)だ!
そして、頭に着く『e』はITやネットビジネスを意味する『e』ではなくevolutionally(進化する)だ」と気づき、その場でe-CRBと改名した。

e-CRBのCSサイクル
e-CRBのCSサイクルでは、クルマを購入してからのお客様の体験を「購入体験」「納車体験」「オーナー体験」「ディーラー接触体験」「サービス入庫体験」の5つのシーンに分類し、それぞれのシーンにおいてエクスクルーシブで洗練されたオペレーション体験を提供する。

TMTにe-CRBを提案

さて、話の舞台は再び、タイに戻る。4月の1回目の打ち合わせを経て、TMTは友山たちのために、同社の営業部門が入居するAll Seasons Place のCRCタワーの42階に部屋を用意し、Wi-Fiやコピー機、ホワイトボードなど事務用品一式を取り揃えてくれた。そして改善のモデル店候補として、有力販売店2社を選定してくれた。
それを受けて、5月からは日本から鳥居圭吾たち改善マンがやってきて、現地現物で販売店の現場を見て回った。友山もシンガポールから何度もバンコク入りし、陣頭指揮をとった。
その結果、わかったことはタイの販売店は新車を売ったら、売りっぱなし。その後の定期点検や整備などのアフターフォローができていないことだった。街中には独立系の整備工場や板金工場がたくさんあり、お客様はそうした店で修理や整備をしていた。そこにはサードパーティの部品がたくさん流通していた。それらはトヨタ純正部品に比べると格段に安価であったが品質は粗悪で、すぐに壊れるものであった。
これではいけない。まずは、新車納車後の1ヶ月点検を始め、定期的に入庫を誘致するCR活動の仕組みを作らなければいけない。日本ではこうしたCR活動は営業担当の仕事である。しかし、タイでは営業担当の業務の中にその仕事は組み込まれておらず、営業担当はただひたすらクルマを販売するのが仕事だった。そうした現状を踏まえ、営業担当にこの業務を「やってくれ」と依頼しても、きっと100%やり切るのは無理だろうと思えた。やる以上は100%やってもらわないと意味がない。また、慣れない新しい業務を付加することで、営業担当の販売成績が落ちてしまうことを販売店のトップは危惧すると予想された。
そこで販売店の各営業所の顧客情報を集約して、入庫誘致のCR活動や定期的な顧客フローを集中して100%実施できるコールセンターの設立をキックオフで提案することにした。鳥居たちがこのコールセンターの仕組みをモノと情報の流れ図に落とし込んで説明資料を作成した。
併せて、この仕組みを理解してもらうには、システムのデモが必要になった。そのデモ画面を作成するために、日本から澤田敏之が急遽、召集された。澤田は96年の業務改善支援室が設立された時からの古参メンバーであったが、当時はトヨタの国内マーケティング部に異動して、Tee21というトヨタ国内販売店の販売支援システムの開発をおこなっていた。しかも、パスポートが切れていたので、大急ぎで取得。古巣からの緊急召集に応じ、何をするのか知らされないままバンコクにやってきた。この時点でキックオフ・ミーティングの日まで1週間しか残されていなかった。
到着するやいなや、自分が求められているミッションを知り、「まじか!」と驚いたが、もはや驚いている時間すらない。鳥居たちから説明を受け、すぐさまデモ用のシステム開発に着手。何とかキックオフ・ミーティングに間に合わせた。
そして6月27日、「タイにおけるe-CRBの開発」というテーマでキックオフ・ミーティングが開催された。この場では会員制WEBサイト「e-TOYOTACLUB」とコールセンターによる集中CR活動をプレゼンした。これを受け、モデル店候補の1つであったトヨタ・トンブリが「当社でe-CRBに挑戦したい」と手を挙げた。こうして、タイでのe-CRBの取り組みが正式にスタートすることになった。

会員制WEBサイト「e-TOYOTACLUB」の開発

タイでのe-CRBを開発するにあたり、会員制WEBサイト「e-TOYOTACLUB」のチーム、販売店のコールセンター構築と業務改善、さらにそれに伴うi-CROPなどのシステム開発などをおこなったトヨタ・トンブリチーム、そして、現地での活動をサポートするデジタルメディアサービスの海外事業体(現地法人)の設立を行うチームの3つのチームに分かれて役割分担することになった。
まずは会員制WEBサイト「e-TOYOTACLUB」である。これは日本のGAZOOドットコムでの経験をベースに、それを一歩進化させたWEBサイトである。年齢や自動車免許の有無、さらにはトヨタ車のユーザーか否かは問わない。誰でもこのサイトの会員(シルバー会員)になることができる。サイトでは新車情報の検索や見積もり依頼、カタログ請求などができた。また、インターネット博覧会で人気だったi-グランプリも実装していて、他のメンバーとレースを楽しむことができた。これらは見込み客の開拓と囲い込みを狙ったバーチャル(WEB)での顧客接点の構築であり、それを来店や商談といったリアル(販売店)での顧客接点につなげるものであった。会員はそれぞれ専用のWEBページを持つことができ、サイト内でのアクションに応じてポイントが貯まり、i-グランプリなどのゲームでそれを使うことができた。さらに、トヨタ車を購入するとゴールド会員に昇格し、Owner Logsというクルマのカルテのようなページがもらえた。そしてその情報は販売店のシステムと連携し、販売店と顧客のバーチャル(WEB)での接点となった。e-TOYOTACLUBの最大の狙いはこのオーナーサイトにあった。世界各国でこうしたオーナーサイトを立ち上げていきたい。それは友山のe-CRB構想の目玉の一つだった。
e-TOYOTACLUBにはマーケティング、プロモーション(販売促進)、広報の機能が統合されており、いわゆるマルコム(マーケティング・コミュニケーション)ベースで企画されたものであった。この企画は伊藤誠と2002年に新卒でトヨタに入社した2年目の鶴田洋介が担当した。
また、e-TOYOTACLUBの会員組織の運営や会員登録などの仕組み作りのために、日本から北明健一が召集され、e-TOYOTACLUBの会員向けのコールセンターの開設と運用の構築も北明がリーダーとして担当した。e-TOYOTACLUBのコールセンターはバンコク郊外のサムロンにあるTMTの本社工場の構内に開設した。そしてデジタルメディアサービスの現地法人Digital Media Asia Pacific(DMAP)の設立後はDMAPの本社内に移管された。8月からはシステム開発のメンバーもチームに加わり、大所帯となった。

販売店のオペレーティングシステムの開発と業務改善

統合的顧客管理システム「i-CROP」の企画とトヨタ・トンブリの本社に置いた集中コールセンターの企画と開設は北明や鳥居、鶴田たちが担当した。現地でタイ人のオペレーターを採用し、電話応対シナリオの作成や教育を実施した。また、澤田はトヨタ・トンブリチームのリーダーとしてコールセンターの開設をおこない、オペレーターが使うシステムをはじめとしたi-CROPのプロトタイプの開発をおこなった。澤田本人はあくまでキックオフのための緊急応援派遣で来ただけで、キックオフが終われば日本に帰れるものと思っていたが、どっこい、そのままバンコク常駐となった。まさかまさかの仰天人事だった。なぜなら、澤田には日本国内でTee21の開発という重要な業務があったからだ。バンコクに出張中は部下に遠隔で指示して何とかやりくりしていたが常駐となると、そういうわけにもいかなくなる。この調整はかなり大変だった。結局は引き続き遠隔で日本の業務をやりながら、i-CROPのプロトタイプを開発することになった。
なぜ、澤田がそこまでバンコクで必要とされたのか?その訳は澤田がマイクロソフトのアクセスを使ったシステム開発が手早く出来たからである。トヨタの工場から業務改善支援室に異動してきた澤田は藤原の下で徹底的にアクセスの使い方を叩き込まれた。実は初代のアクセス名人は藤原であった。藤原は販売店の改善現場を見て、改善マンたちとシステム要件をほぼ口頭ですり合わせし、その場でパパッと素早くさまざまな業務改善支援システムを作ってきた。その技術を藤原から伝授され、藤原がUVISの開発やGAZOO、e-Tower、G-BOOKの開発を担うようになってからは、澤田がアクセスを使った販売店の現場システムの開発を一手に担ってきた。その経験があったので「お前なら、アクセスを使って、パパッと作れるだろう。システム会社に外注すると、開発に時間がかかる上に、融通がきかない。改善が止まってしまう。だからお前がまず作ってくれ。それを後から改善していけばいい」。いわゆる限りなき内製化である。
「システムを作れ!」といわれて、いわれた通りにシステムを作って渡しても、きっとそれはうまく活用されない。そのことを業務改善支援室での経験で澤田はよく知っていた。まずは現地現物で確認する。そこにシステムを必要とする現場があり、そこで働いている人がいる。お客様がいる。それをよく観察し、この現場には何が必要か?どういうシステムがあればいいのか?を見極めなくてはいけない。それぞれの現場にはその現場なりの理由や答えがある。単なるシステムの作り屋になってはいけない。これが澤田の持論だ。
しかし、この時、タイでのコールセンター開設は初めての挑戦。まずはコールセンターの現場作りからやらなければいけなかった。最初に紙を使ってお客様ごとのカンバンを作り、管理ポストを使ってアナログの運用をするとこから始めた。そして、それをもとに、管理ポストをシステムに置き換えていくのだが、とにかく、作っては直し、作っては直しの繰り返し。宿泊していたホテルからトヨタ・トンブリの本社までは朝はクルマで30分から1時間程度だったが、夕方になると大渋滞となり、1時間からひどい時には3時間くらいかかることもあった。その往復を毎日繰り返した。
そして、TMTに依頼し、頑張ってもらってTMTの基幹システムからお客様情報をもらう口を作ってもらえたのが8月の終わり。そして、それを受けて販売店のオペレーションシステムを10月から稼働させる。これが求められたスケジュールだった。それはアクセスが扱える澤田を持ってしても無理難題だった。
また、同時並行で販売店のサービス改善も必要だった。せっかく入庫を誘致できても、計画通りに作業が進み、納期を遵守できる現場になっていないと、お客様に感動体験をしてもらえないだけでなく、逆にクレームになってしまう。そこで、システム台車を使ったクイック車検(トヨタ・トンブリではエクスプレス車検と呼んだ)を導入した。その改善を担当したのは村田雅志だった。村田は澤田同様に、毎日、ホテルと現場を往復し、言葉が満足に通じない中、作業のムリ・ムダを排除した新しい点検・整備のやり方をタイ人のサービススタッフに伝授した。

海外事業体(タイ現地法人)の設立

もう一つのチームはタイにデジタルメディアサービスの現地法人を設立する役割だった。これは最初に小島修と三島利也が担当した。なにぶん、現地法人の設立なんてことは初めての経験である。
そのノウハウも知識も当時のデジタルメディアサービスにはまったくなかった。そこで、小島と三島はまず関連する書籍を買い集め、勉強するところから始めた。また、バンコクのJETROを訪ねてアドバイスをもらった。
こうした情報収集の結果、タイでサービス業の会社を設立する場合、51%以上はタイ資本でなくてはいけないこと、また会社設立の発起人には7人が必要なこと。さらには会社の登記はタイ商務局にタイ語で作成した書類を提出しなければいけないことなどが次第にわかってきた。
中でも51%を現地資本というのは大きな難関である。経営の主導権を現地資本に取られるのは困る。小島と三島は考え込んでしまった。しかし、こういう時に知恵を出すのがあの豪腕・上田利明である。上田の発案でトヨタと付き合いが深い、豊田通商と富士通のタイの関連会社である豊田通商タイランドと富士通タイランドに出資を依頼して了承を得て、クリアした。発起人7人の障害は豊田、友山、小島、上田の4人が1株株主となることでクリアした。最後のタイ語での登記については、これはとても自分たちだけではできない。専門のコンサルタントと契約する必要がある。どうしたものかと思案していると、運よくKPMGという日系のコンサルタント会社を紹介してもらい、これもクリアできた。
一方で、デジタルメディアサービスが海外に現地法人を設立するにあたり、トヨタの関連事業室の承諾を得る必要があった。「なぜ、わざわざ現地法人を設立する必要があるの?タイにはTMTがあるのだから、必要ないでしょう」という関連事業室の言い分に対して、「現地でのe-CRBの展開には泥臭いやりとりもあるだろうし、プロジェクトに寄り添いきめ細かいフォローも必要になる。そして新会社ではシステム開発などITのノウハウが必要になる」と粘り強く現地法人の設立の必要性を説いた。そして、フィージビリティスタディをおこない事業計画書を作成。なんとか了承を得ることができた。
しかし、まだまだ現地法人設立に向けて、やらなければいけないことは山ほどあった。
そんな折、小島の家人が交通事故に遭うというトラブルが発生したため、小島が日本を離れられなくなった。小島に代わって、あの豪腕・上田利明が担当した。また最初のTMT訪問から友山とともに行動し、TMTとの交渉などを担当してきた田村誠は特命で一時期、中国に長期出張していたが、2004年の年明けからタイに戻り、TMTとの業務委託契約書やe-CRB利用規約の作成などでフォローに入った。海外法務の実務経験があったe-TOYOTA部グローバル企画室長の永井真澄もサポートした。また、豊田通商タイランドと富士通タイランドとの合弁契約の調印には、豊田がわざわざバンコクまで来て契約書にサインし、合弁契約に重みを加えた。小島も看病の病室から随時、上田や三島を遠隔でフォローした。
e-TOYOTACLUBやi-CROPのチームもそうだが、このe-CRBプロジェクトは彼らの総力戦となった。それだけハードなプロジェクトだったし、何としてもこれを成功させないといけない強い想いがプロジェクト全体にあった。
また、オフィス物件の契約では、当初、BTS(Bangkok Mass Transit System)のプルンチット駅直結の好立地物件を上田が発見。プルンチット駅とe-CRB開発部屋やTMTがあるCRCタワーは日本でいえば徒歩圏内の距離(タイは暑いので歩くには辛い)。同時に無料のシャトルバスが往復していた。上田としてはこの物件に入居を決めていたつもりだが、商習慣の違いから他社に先に契約されてしまうというハプニングがあった。しかし、そのすぐ後に、同じ建物の中に広さや間取りで使い勝手が良く、しかも、机や椅子など事務用品を居抜きで安く買い取れる、もっと好条件の物件が出てきて、結果的にはラッキーだった。この物件はその後、同じフロアーに部屋を拡張して現在もToyota Connected Asia Pacific(TCAP/DMAPの新社名)の本社が入居している。豪腕・上田の強運ぶりにはまったくもって驚かされる。
そして、2004年3月3日に無事、DMAPの登記も完了した。こうして万事、準備が整い、本章の冒頭に紹介したe-CRBの記者発表を迎えることになったのであった。

e-CRB開発部屋の写真
CRCタワー42階のTMTオフィスに設置したe-CRBの開発部屋。
ここがタイでのe-CRB開発の中心拠点となった。

この章の登場人物

  • 北明 健一(きたあき けんいち)
    トヨタ自動車 情報システム本部長
    トヨタに入社してすぐに生産調査室に配属され、将来のエース候補としてTPS(トヨタ生産方式)を徹底的に教え込まれ、鍛えられた。そして業務改善支援室に引き抜かれ、最初は新車物流改善を担当。若い頃は、ぼーっとしているように見えて、しっかり物事の本質を見抜き、筋道立てて仕事を進めた。頭が良くて要領もいい。そして努力家。昔からIT機器にも抵抗がなく、器用にマスターしてきた。冷静かつ礼儀正しいので先輩からも一目置かれ、後輩からは慕われた。お酒はほとんど飲めない。GAZOO商店街の配送システムの開発などいつも新しい現場を任され、e-CRBの展開でもいろいろな国での立ち上げの現場にはいつも北明の姿があった。
  • 鳥居 圭吾(とりい けいご)
    トヨタ自動車 BR技事系 TPS自主研推進室 主査
    業務改善支援室の初期メンバーの一人。「とにかく真面目で、口数が少ない。目立たない。言われたことをコツコツきっちりやる。怒られてもめげない。すごくタフ」。誰に聞いても、同様な答えが返ってくる。エピソードらしいエピソードがない(作らない)のが鳥居の個性かもしれない。タイのe-CRBを立ち上げ、2004年からTMTに日本人コーディネーターとして出向した。実はこの時、ちょうど名古屋に新しく家を建築中だったが、文句も口にせず、単身、タイに赴任した。当時、英語はまったくできなかったが、それでも着実に成果を上げていった。タイのほか、中国やインドなどでのe-CRBの立ち上げに参加。海外勤務時代はずっと自炊していた。インドではホテルにコンロを持ち込み料理していて、ホテルから追い出された経験がある。
  • 伊藤 誠(いとう まこと)
    トヨタコネクティッド常務取締役
    トヨタコネクティッドノースアメリカ Chief Administrative Officer(兼務)
    2002年のG-BOOK立ち上げプロジェクトを完遂して間もなく、友山のシンガポール赴任のタイミングで新たな顧客向けサービスの具現化の為、シンガポールとタイ、日本を行き来することに。e-CRBの戦略の一つであるウェブを活用した新たな顧客施策として、会員制サイト“e-TOYOTACLUB”を現地スタッフと協力して立ち上げ、2004年3月のタイバンコクモーターショーで披露した。その後、2006年に藤井(朗)の後任として、DMAPの社長に就任もわずか一年足らずで、新たなプロジェクトの為に、日本へ強制送還された。TCの海外事業体社長任期の最短記録は未だに破られていない。
  • 鶴田 洋介(つるた ようすけ)
    トヨタ自動車 MaaS事業部長
    2002年にトヨタに入社し、e-TOYOTA部に初めての新卒社員として配属。当時のe-TOYOTA部は非常に難易度の高い仕事を行う部署として、人事部も新人配属の候補から外していたが、本人たっての希望を叶える形に。帰国子女でもあり、北米仕込みの負けん気の強さから、配属1年目でGMSへの出向ののち、プロジェクトCの担当に抜擢。そのままタイでe-CRBの展開を経験。e-TOYOTACLUBの企画や会員のためのコールセンターの開設や運用を担当した。ネイティブな英語を駆使して、友山の随行秘書も兼務しながら様々なプロジェクトを経験。e-CRBや改善活動の中核をなす人物へと成長していく。
    ちなみに、新卒でe-TOYOTA部配属を希望したのは、e-TOYOTA部が雑誌や新聞によく取り上げられてどの部署よりも目立っていたことが理由らしい。

著者プロフィール

  • 宮崎 秀敏(みやざき ひでとし)
    ネクスト・ワン代表取締役
    1962年、広島生まれ。1997年リクルートを退職後、ひょんな縁で業務改善支援室の活動に帯同。
    98年、同室の活動をまとめた書籍『ネクスト・ワン』(非売品)を上梓。会員誌の制作やコミュニティの運営などでGAZOO、G-BOOK、e-CRB、GAZOO Mura、GAZOO Racingなどの立ち上げに協力しながら取材活動を継続。